みちのくより愛をこめて 0007

東日本大震災の復興・再生を祈願して東北のニュースや浮世の話題等をお届けしています。

地域おこし協力隊の福島県内の隊員数は10月1日現在、27市町村で計77人となり、協力隊制度ができた平成21年度以降、最多

都市部の住民らが地方に一定期間住み、まちづくりなどに携わる地域おこし協力隊の福島県内の隊員数は10月1日現在、27市町村で計77人となり、協力隊制度ができた平成21年度以降、最多となった。県は今年度内に100人を目指しているが、制度活用の全国的な盛り上がりの中で隊員の確保が課題となる。

 

 県内の地域おこし協力隊は22年度に伊達市で4人が活動を始め、27年度末には県全体で53人となった。今年度、13人が任期を終えるなどしたが、新たに37人が加わった。会津地方での活動が目立ち、三島町は県内最多の9人が観光誘客や6次化推進などに取り組んでいる。県によると、任期後の定住率は約6割に上る。

 

 県は協力隊の増加について、人口対策や地域活性化などで隊員の活動成果が出始め、制度の認知度が高まっているとみているが、増加は全国的な傾向で、募集をかけてもうまく集まらない市町村もあるという。年明けに市町村合同の説明会を都内で開き、県内の魅力を幅広く伝える。

 

 国は地域おこし協力隊とは別に、災害被災地の再生支援を目的に復興支援員制度を設けている。県内関係では10月1日現在、東日本大震災からの復興に向け、計144人が県内外で活動している。


★地域おこし協力隊(ちいきおこしきょうりょくたい)とは、人口減少や高齢化等の進行が著しい地方において、地域外の人材を積極的に受け入れ、地域協力活動を行ってもらい、その定住・定着を図ることで、意欲ある都市住民のニーズに応えながら、地域力の維持・強化を図っていくことを目的とした制度である。

概要
2009年に総務省によって制度化された。2015年度には全国673の自治体で2,625人の隊員が活躍している。

地方自治体が募集を行い、地域おこしや地域の暮らしなどに興味のある都市部の住民を受け入れて地域おこし協力隊員として委嘱する。隊員には地域ブランド化や地場産品の開発・販売・プロモーション、都市住民の移住・交流の支援、農林水産業への従事、住民生活の維持のための支援などの「地域協力活動」に従事してもらい、あわせて隊員の定住・定着を図る。一連の活動を通じて、地域力の維持・強化を図っていくことを目的としている。

総務省が隊員1人につき報償費等として年間200万円~250万円、活動費として年間150万円~200万円をそれぞれ上限に地方自治体に対して特別交付税措置する。また、2014年度からは隊員最終年次か任期後1年の間、隊員の起業に要する経費について地方自治体が支援を行った場合、100万円を上限に国の支援が上乗せされた。隊員の期間は概ね1年以上最長3年までとしている。ただし3年を超えても活動の継続は可能である。

総務省は隊員の対象として
地方自治体から、委嘱状等の交付による委嘱を受け、地域協力活動に従事する者であること。
1の委嘱に当たり、地方自治体が、その対象者及び従事する地域協力活動の内容等を広報誌、ホームページ等で公表していること。

地域協力活動を行う期間は、おおむね1年以上3年以下であること。

生活の拠点を3大都市圏をはじめとする都市地域等から過疎、山村、離島、半島等の地域に移し、住民票を移動させた者であること。したがって、同一市町村内において移動した者及び委嘱を受ける前に既に当該地域に定住・定着している者(既に住民票の移動が行われている者等)については、原則として含まないものであること。

と定めている。
委嘱の方法・期間・名称等は、地域の実情に応じて地方自治体が対応できる。
総務省によれば、隊員の4割が女性、8割が20・30代となっている。また任期終了後については、同省調査(2015年2月)によると、5割が任地の自治体に、1割が任地の近隣自治体に定住しているほか、任地の自治体に定住した隊員のうち5割が就業、2割が就農または起業している。

主な地域協力活動
農林水産業・産業 - 農林水産業への従事、地場産品の販売、地産地消の推進など
環境 - 水源地や森林の保全活動など
医療・福祉 - 見守りサービス、病院・買い物等の移動サポートなど
観光 - 地域の魅力PR、観光ルート企画立案、来訪客サポートなど
教育 - 学校行事の支援、子どもとの交流活動など
地域づくり - 地域行事、伝統芸能の応援、都市との交流事業の応援など

白井酒造店(会津美里町)が最優秀賞を初めて受賞 2016【平成28】年の東北清酒鑑評会にて

仙台国税局は10日、2016(平成28)年の東北清酒鑑評会の結果を発表した。純米酒の部で白井酒造店(会津美里町)が最優秀賞を初めて受賞したほか、吟醸酒の部で鶴乃江酒造(会津若松市)が最優秀賞に次ぐ評価員特別賞を受賞した。福島県酒蔵の最優秀賞は同賞が設けられた2013(平成25)年以降4年連続で、福島県日本酒の高い品質が改めて評価された。

 「蔵人一人一人の努力の結晶。酒造技術向上の後押しをしてくれた関係機関に感謝したい」。強豪ひしめく東北で純米酒の部最優秀賞に輝いた白井酒造店では、昔ながらの酒造りに取り組む蔵人たちが笑顔を見せた。

 創業は1765(明和2)年とされ、250年以上の歴史を受け継ぐ。この間の設備投資は最小限で、蔵人も6人と少人数だが、県清酒アカデミー3期生として一から酒造りを学んだ白井栄一代表社員(45)を中心に、自然の力に逆らわない酒造りを心掛けてきた。「さらにおいしい酒造りのために精進する」。さらなる努力を誓う。

 吟醸・純米酒2部門で21蔵元が「優等賞」
 全国新酒鑑評会では4年連続で金賞受賞銘柄数日本一に輝く本県の蔵元は、吟醸、純米酒の2部門で延べ21の製造場(蔵元)が優等賞を受賞した。受賞製造場は東北一の受賞数だった昨年からは順位を一つ落としたが、秋田県の延べ24製造場に続く2位だった。部門別では吟醸酒の部が9、純米酒の部は12の製造場が優等賞を受賞した。

 鑑評会には、東北6県の150の製造場が15年度中に製造した清酒計432点を出品。本県からは33製造場が86点を出品した。表彰式は10日、仙台市で行われた。


福島県勢が最優秀賞を受賞するのは25年の選考開始以来4年連続で、県産酒の品質の高さを改めて証明した。

 福島県内から純米酒の部に30蔵元、吟醸酒の部に27蔵元が出品し、純米酒の部で12蔵元、吟醸酒の部で9蔵元の延べ21蔵元が優等賞(最優秀賞、評価員特別賞を含む)となった。

県別では24蔵元の秋田県に次いで2位となり、昨年に続く1位はならなかった。県酒造協同組合の新城猪之吉会長(末廣酒造社長)は「県内蔵元の4年連続最優秀賞はとてもうれしい。優等賞受賞数の東北一を目指す」と語った。

 東北清酒鑑評会には純米酒の部(1蔵元当たり1点)に127点、吟醸酒の部(1蔵元当たり2点以内)に133蔵元から257点が出品された。純米酒の部で43蔵元、吟醸酒の部で50蔵元を優等賞とし、その中から最優秀賞に両部とも1蔵元、評価員特別賞に両部とも2蔵元を選んだ。

 

★白井酒造店
福島県会津美里町(旧高田町)に「宮川屋 萬代芳(みやがわや ばんだいほう)」「風が吹く」を醸す白井酒造店(しらいしゅぞうてん)があります。福島県では珍しく、山廃仕込みをメインブランドとしており、「宮川屋 萬代芳」は火入れタイプ(1回熱処理したもの)、「風が吹く」は生酒(一切熱処理しないもの)、と、火入れと生を銘柄を明確に分けて出荷しています。酒米はすべて会津産有機栽培五百万石を使用。 味わいも年々、山廃らしい酸味と重厚な味わいが出てきており、今後ますます期待される蔵です。

〒969-6251
福島県 大沼郡会津美里町永井野中町1862
TEL 0242-54-3022 / FAX 0242-54-4867

代表銘柄
風が吹く 山廃仕込み 純米吟醸生酒
風が吹く 山廃仕込み 純米生酒

合資会社白井酒造店は江戸末期に白井忠太氏が創業【1765(明和2)年】した、現在で9代続く酒蔵です。
忠太氏は蔵の2〜3軒隣にある油屋の出身で、酒蔵をするように言われたことから分家されました。 創業時期はよく分かっていないそうですが、忠太氏が亡くなられたのが天明6年11月(1786年)と記録に残っていることから、1700年代の中期頃に創業されたのではないかとのことです。

創業当初の屋号は「宮川屋」といい、これは蔵の近くを流れる宮川から付けられた屋号です。
現在の主力銘柄の一つ、萬代芳(ばんだいほう)は5代目の泰三氏が灘の酒蔵で修行した際に貰った酒名だそうです。

もともとは萬代(ばんだい)という酒名を貰って帰って来たそうですが、既に他社が萬代(ばんだい)で商標登録していたことから萬代芳と書いて「よろずよし」と読む酒名が誕生したそうです。
その後、第二次大戦後に現在の読み方である萬代芳「ばんだいほう」に改められたそうです。

そして今、売り出し中の「風が吹く」は平成17酒造年度に9代目蔵元、白井栄一さん立ち上げた新しい銘柄です。

蔵が目指す酒質は「味わいは深いけど重くない酒」。
そのバランスを目指し、毎年試行錯誤しながら酒造りをされているそうです。


※醸造年度

醸造年度(じょうぞうねんど)とは、醸造業界・酒造業界における1年の区切り方(年度)であり、毎年の7月1日から翌年の6月30日までをいう。酒造年度(しゅぞうねんど)、または単に製造年度(せいぞうねんど)ともいう。

英語でBrewing Year (Brewery Year) ということからBYと略される。
年数字には元号を用いることが多い。たとえば2015年7月1日から2016年6月30日は、2015年が平成27年であることから「27BY」または「BY27」と記される。

B.Y.は英語ですが使われる年数字は西暦ではなく元号が一般です。
たとえば2009年07月01日~20010年06月30日は2009年が平成21年であることから
「21B.Y.」または「B.Y21」となります。
2009B.Y.・B.Y.2009の西暦表記でもOKですが、国税局等が元号を使用するためそれに倣って元号表記が一般のようです。

全国新酒鑑評会も元号を使用しています。
平成22年05月頃に発表される金賞受賞酒は平成21年度金賞受賞酒となります。
酒造年度を知らない方は、「あれ?新酒なのに去年のお酒・・・」と勘違いされます。
そこで西暦を使って「2010年度産」「2010年産」と表記する場合があります。


ただし、年数字に西暦を用いる酒造会社もある。
古酒や大古酒といった語の定義は統一されていない。蔵人言葉では、醸造年度を越したものはすべて「古酒」と呼ぶ。したがって、6月に造った酒でも9月に出荷すれば「古酒」である。

 

●製造年月
製造年月は、原則として製品容器に詰めた年月を「製造年月」として表示しています。ほとんどの蔵元さんがこの表示です。

 

★会津美里町

会津美里町(あいづみさとまち)は、福島県大沼郡の町。
面積276.33 km²
(境界未定部分あり)
総人口20,570人
(推計人口、2016年10月1日)
人口密度74.4人/km²
隣接自治体
会津若松市、
河沼郡会津坂下町、柳津町、
大沼郡昭和村、南会津郡下郷町
町の木えんじゅ
町の花あやめ
町の鳥セキレイ

●地理
会津盆地の南西部を占める。中央を宮川(鶴沼川)が南西から北東に流れ、会津若松市との境界付近からは北よりに流れを変え、やがて阿賀川(大川)と合流する。北部・東部は盆地の平野部(あいづだいら)が広がり、コシヒカリ、ひとめぼれなどを中心とした稲作が盛んである。南部・西部は山間地となっており会津高原へとつながる。山沿いなどではぶどう、朝鮮人参、ソバ、野菜類などが栽培されている。いわゆる、ゆるキャラはあいづじげんである。
山 :博士山、明神ヶ岳
河川:阿賀川(大川)、宮川(鶴沼川)、赤沢川、佐賀瀬川、氷玉川
湖沼:新宮川ダム、宮川ダム、二岐ダム


※名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
●温泉
町内には温泉施設が3箇所ある。点在する温泉施設や各庁舎をつなぐ地域間連絡バスが合併以降2007年(平成19年)9月30日まで運行された。
高田温泉 「あやめの湯」
新鶴温泉健康センター、ほっとぴあ新鶴
会津本郷温泉 「湯陶里(ゆとり)」
松沢温泉

●名所・旧跡
あやめ苑
宮川の千本桜
伊佐須美神社
向羽黒山城跡(国の史跡)
蓋沼 - 県指定天然記念物 
左下り観音
清郷美術館
千歳桜
中田観音(弘安寺)
龍興寺(国宝・一字蓮台法華経)
法用寺三重塔

●公園
蓋沼森林公園 - 水源の森百選(高田地区)
ふれあいの森スポーツ公園(新鶴地区)
白鳳山公園(本郷地区)

●祭事・催事
大俵引き(1月第二土曜日)
文殊祭(2月25日)
あやめ祭り(6月15日 - 7月5日)
御田植祭(7月12日)
会津本郷せと市(8月第一日曜日)

●名産品
会津本郷焼
高田梅…ゴルフボールほどの大粒で種が小さく(可食部が多い)、歯触りがよい。
朝鮮人参
新鶴ワイン
身不知柿…みしらずがき。柿の木が重みで折れてしまうほど実を付けることから名付けられたとされる。渋柿のため脱渋処理(渋抜き)を施したのち出荷される。

●出身有名人
大石邦子(作家)
小林典子(元アナウンサー)
佐治幸平 (自由民権運動家)
平田紀一(山梨、群馬各県知事、富山市長)
前田實(秋田銀行頭取)
松平勇雄(福島県知事、行政管理庁長官)
若林健次(漫画家)
渡部勝彦(指揮者)
小林美登利(大正時代から昭和にかけてブラジルで活躍した教育家、牧師、剣道師範。聖州義塾創立者。ブラジルの日系人としてパイオニア的な存在)

 

 

 

 

2020年東京五輪の組織委員会が野球・ソフトボールの一部の試合を福島県で行うことを決める

2020年東京オリンピック・パラリンピックの組織委員会は、大会で実施される野球・ソフトボールの一部の試合を福島県で行うことを決めました。今後、競技会場が絞り込まれ、来月上旬に開かれるIOC=国際オリンピック委員会の理事会で正式に承認されます。

先月、IOCのバッハ会長が、安倍総理大臣との会談で、東日本大震災の被災地で競技を開催する意向を示しました。


2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会が9日午後の理事会で、追加種目となった野球・ソフトボールの1次リーグの福島県開催を承認する見通しであることが分かった。

競技会場については、福島市の福島県営あづま球場、いわき市のいわきグリーンスタジアム、郡山市の開成山野球場が候補に挙がっていますが、関係者によりますと、交通の利便性や観客席の規模などから、福島市のあづま球場で調整を進めているということです。

 理事会後、組織委の森喜朗会長が福島県の内堀雅雄知事と会場などを協議する。福島、郡山、いわきの3市が候補に名乗りを上げており、福島市で最終調整されている。世界野球ソフトボール連盟(WBSC)のフラッカリ会長が来週に来日し、福島市のほか郡山市の球場を視察する予定。

 組織委は競技団体や自治体との調整を経て、12月の国際オリンピック委員会(IOC)理事会で計画承認を目指す。野球・ソフトボールは横浜スタジアムを主会場とする方針が固まっているが、10月に来日したIOCのバッハ会長が「(東日本大震災の被災地で)例えば日本チームが参加する野球の最初の試合をやれば、パワフルなメッセージの発信につながる」と話していた。


2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長が9日、東京都内で内堀雅雄知事に野球・ソフトボール競技の福島県開催方針を伝えたことを受け、県内関係者は喜びと抱負を語った。一方、本県開催に向けた課題が、あらためて浮き彫りとなった。

 県野球連盟の花沢興一会長(75)は「県民一体となって盛り上げていきたい。復興した姿を見せ、来た人に福島に来てよかったと思ってもらえるようにしたい」と話す。東北ソフトボール協会長・県ソフトボール協会長の長沢初男さん(68)は「県民に希望を与えてくれるだろう。さらに復興が加速すれば」と期待を示した。

 県内の野球、ソフトボール関係者でつくる誘致委員会の杉昭重会長(65)は「福島で開催してほしいという県民の思いが伝わった結果ではないか」と喜び、「誘致委員会としてさらに支援を続けていきたい」と語った。

 郡山市の朝日が丘ソフトボールスポーツ少年団でプレーする有我哉汰(かなた)君(8)は「すごく楽しみ。世界のプレーヤーと日本が試合をするところを見てみたい」と話し、早くも観戦を心待ちにした。

 客席増や移動手段確保課題
 野球・ソフトボール競技の本県開催方針を受けて、県は、2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会、国際競技連盟(IF)、関係団体と連携し、球場の整備など開催に向けて本格的な準備に乗り出す。

 具体的には球場決定後になるが、観客席の増設や大会を安全に運営するためのセキュリティースペースの整備、球場までの移動手段の確保などが課題になると想定。試合数や日程によっては宿泊施設を確保する必要もあるとみている。県は組織委の意見を踏まえて対応する考え。

 一方、本県会場の整備費の負担割合は明確に示されていない。都内外の仮設施設の整備費は原則、組織委が負担することになっているが、費用負担の枠組みを協議しており、県が負担する可能性もある。

 

 

福島県富岡町の公設民営の複合商業施設「さくらモールとみおか」が先行オープン予定

原発事故の影響で全町避難が続く富岡町が25日に同町小浜の国道6号沿いに開業する公設民営の複合商業施設「さくらモールとみおか」で、入居するダイユーエイト(福島市)が23日にホームセンターを先行オープンさせることが8日、同社と町への取材で分かった。

 同社は23日の「勤労感謝の日」に合わせ、既存の各店舗で販促キャンペーンを予定しており、さくらモールとみおか店との相乗効果を図る狙いがある。

 同社によると、同店では除染や復興事業に取り組む作業員のニーズが高い工具類や作業衣類、各種資材などの品ぞろえを充実させる。一時帰宅や準備宿泊で町内に滞在する住民のため、日用品や掃除用品、家電類、食料品も取り扱う。

 さくらモールとみおかは25日、ダイユーエイトのホームセンターに加え、地元の事業者が出店する飲食店3店舗が営業を始める。ヨークベニマル(郡山市)のスーパー、ドラッグストアのツルハドラッグを含めた全館オープンは、来年3月下旬となる見通し。


■東京電力福島第1原発事故で全町避難する福島県富岡町は10月11日、11月下旬に町内で一部オープンする複合商業施設の愛称が「さくらモールとみおか」に決まったと発表した。

 公募で全国から452点が寄せられ、選考委員会が絞り込んだ上位12点から町が最終決定した。桜は夜の森地区の並木で知られ、町のシンボルになっており、「さくらモールとみおか」が選考委員から最多票を集めたことなどを考慮した。

 町は来年4月の帰還開始を目標にする。商業施設は11月下旬にダイユーエイトと地元飲食店が先行オープン。来年3月にはヨークベニマルが開店する。


★富岡町
富岡町(とみおかまち)は、福島県双葉郡の中心にある町。東京電力福島第二原子力発電所がある。
平成23年(2011年)に発生した福島第一原子力発電所事故の影響により、 同年3月17日以降、仮役場を郡山市にあるビッグパレットふくしま内に設置していた。同年12月19日以降、郡山市大槻町西ノ宮に富岡町役場郡山事務所を開設し、役場機能を移転している

歴史
昭和25年(1950年)6月1日 - 上岡村が町制施行・改称して双葉町となる。
昭和30年(1955年)3月31日 - 双葉町と合併し、現行の富岡町となる。
2011年(平成23年)3月11日 - 東日本大震災が発生。富岡町で震度6強を観測。

 

東邦銀行の創立75周年記念式典が11月3日、郡山市で行われる

東邦銀行の創立75周年記念式典は3日、郡山市で行われ、関係者が地域とともに一層の発展を目指す決意を新たにした。75周年に合わせて制作された「愛唱歌」「応援歌」が初披露された。

 

 行員やグループ企業の社員、OB・OGら約2千人が出席。北村清士頭取が「緩やかだが復興から成長への足取りが着実なものになっている。お客さま、地域への感謝の気持ちを忘れることなく、福島のリーディングカンパニーとして使命を果たしていきたい」とあいさつした。

 

 愛唱歌「愛の歌が聴こえるか?」、応援歌「我らならば」は、両曲とも作詞を音楽プロデューサーの秋元康さん、作曲を作曲家の三枝成彰さんが担当した。

 

 式典の最後に同行の合唱部と応援団が登場、高らかに両曲を歌い上げた。三枝さんと制作に協力した矢内廣ぴあ社長も立ち会った。愛唱歌や応援歌はCMや窓口で流したり、県民の応援ソングなどとして活用する方針。

 

 式典ではこのほか、数学者で作家の藤原正彦さんが「これからの日本に求められること」と題して記念講演。由紀さおりさん、安田祥子さんによるコンサートも開かれた。

 

※株式会社東邦銀行(頭取 北村 清士)は、平成28年11月4日に大きな節目となる創立75周年を迎えます。これもひとえに、昭和16年の創立以来、永きにわたり地域の皆さまにご支援いただいた賜物であり、役職員一同、改めて皆さまに感謝申し上げます。

 

★東邦銀行
株式会社東邦銀行(とうほうぎんこう、The Toho Bank, Ltd.)は、福島県福島市に本店を置く地方銀行。
1941(昭和16年)郡山商業銀行、会津銀行、白河瀬谷銀行の3行を合併して設立

本店福島市大町3-25

資本金
235億19百万円 (平成28年3月末)
総資産
5兆8,585億円 (平成28年3月末)
総預金
5兆5,274億円 (平成28年3月末)
貸出金
2兆9,309億円 (平成28年3月末)
自己資本比率
単体9.71%(国内基準) (平成28年3月末)
外部格付
スタンダード&プアーズ 長期発行体格付 A-
日本格付研究所(JCR) 長期優先債務格付 A

沿革昭和16年11月、郡山商業銀行、会津銀行、白河瀬谷銀行の3行合併により設立
店舗数(最新)
115カ店(福島104、東京2、宮城3、茨城2、栃木1、新潟1、山形1、インターネット支店1)

●概要
福島県および県下多数の自治体の指定金融機関を受託している。東北地方では七十七銀行に次いで第2位の規模である。 海外事務所を全廃するなど地元重視の堅実な経営を続けている。県内での預金シェアは高くまた、貸出金もシェア4割突破を目指して、資金需要の強い郡山地区を重点的に攻略中である。


2015年度には、関連会社5社の株式を追加取得し連結子会社化した上、連携をより一層強固にしていくとしているほか[1]、15年秋には北海道・東北の銀行グループとしては初となる全額出資の証券会社として「とうほう証券」を設立。2016年4月開業した。

●インターネット
2005年(平成17年)にインターネットバンキングの取り扱いを開始し、2009年(平成21年)にはインターネット支店を開設した

店舗コード
店舗コードは、100番単位で地域別に割り振られている。
インターネット支店の店舗コードは、730。
店舗コード地区市郡
100番台福島 福島市、二本松市、伊達市、伊達郡
200番台郡山 郡山市、須賀川市、田村市、本宮市、田村郡、岩瀬郡
300番台白河 白河市、西白河郡、石川郡、東白川郡
400番台会津 会津若松市、喜多方市、耶麻郡、河沼郡、大沼郡、南会津郡
500番台相双 南相馬市、相馬市、双葉郡
600番台いわき いわき市
700番台福島県外 東京都、仙台市、名取市、日立市、水戸市、宇都宮市、新潟市

第24回「瓜生岩子賞」に菅野久子さん(89二本松市)と角田ミキ子さん(74郡山市)が選ばれる

福島県社会福祉協議会は11月2日、第24回「瓜生岩子賞」に元二本松地域子育て支援センター指導員の菅野久子さん(89)=二本松市=と、社会福祉法人ほっと福祉記念会理事長・事務局長の角田ミキ子さん(74)=郡山市=を選んだと発表した。
表彰式は10日に郡山市で開かれる県社会福祉大会の席上、行われる。

 菅野さんは、1945(昭和20)年から保育士などとして勤務。退職後も保育一筋で活動、障害児保育にも携わり、二本松市の子育て支援に尽力した。現在もボランティアとして子育て支援の講師を務めている。
 角田さんは、2010年から同理事長を務める。障害者の雇用開拓のため、自らが企業訪問するなどして利用者の一般企業に対する高い就職率を達成している。大学で福祉教育の実績もあり、障害者の自立支援に力を注いでいる。

 同賞は、先駆的に社会福祉活動に尽力した瓜生岩子が県内に開設した鳳鳴会育児部(現福島愛育園)の100周年を記念して創設、社会福祉に優れた功績のあった人を表彰している。

■「瓜生岩子賞」表彰制度創設の趣旨

 福島県の生んだ社会福祉事業の先覚者「瓜生岩子」は、1829年(文政12年)耶麻郡小田付村(今の喜多方市)に生まれ、1897年(明治30年)に69歳で世を去るまで、孤児救済のために育児院や貧困者向け済生病院の開設等、献身的に生涯を社会福祉に挺身されました。

  こうした岩子刀自の先覚者としての遺徳をしのび、その偉業を永く後世に伝えるため、岩子刀自が県内に初めて創設した鳳鳴会育児部(現在の児童養護施設「福島愛育園」)が100周年を迎えたことを記念し、福島県社会福祉協議会では、岩子刀自の精神にふさわしい社会福祉に功績のあった方々を顕彰する「瓜生岩子賞」表彰制度を平成5年に創設し、これまで23回の表彰を行ってきたところです。

  本年につきましても、第24回目の表彰として福島県社会福祉大会の席上をお借りして行うことといたしましたので、「瓜生岩子賞」表彰制度の趣旨をご理解いただき、今後とも皆様方のご支援・ご協力をお願い申し上げます。
福島県社会福祉協議会

 

★瓜生岩子 うりゅう いわこ

瓜生 岩子(うりゅう いわこ、文政12年2月15日(1829年3月19日) - 明治30年(1897年)4月19日)は、明治時代の社会事業家。女性として最初の藍綬褒章受章者。瓜生 岩としても知られる。

生誕1829年3月19日
陸奥国耶麻郡熱塩村(現福島県喜多方市)
死没1897年4月19日(満68歳没)
福島市
職業社会事業家
配偶者佐瀬茂助


●瓜生 岩子刀自の略 歴 及 び 業 績
文政12年2月15日
会津小田付村(今の喜多方市字北町)の油商若狭屋利左エ門の長女として 生まれる
慶応4年8月
会津戦争で負傷兵を敵味の別なく手当てする
明治2年6月
喜多方に小田付幼学校を設立
明治12年4月
若松に救養会所、裁縫教授所を設立
明治19年10月
福島に鳳鳴会を設立
明治25年5月
若松に若松育児会を設立
若松に済生会病院を設立
若松に会津女子職業学院を設立
明治26年2月
福島に鳳鳴会育児部を設立(今の福島愛育園)
明治29年5月
藍嬬褒章受賞
明治30年4月19日
69歳で歿す(熱塩示現寺瓜生家の墓所に埋葬)
大正3年
従5位授位

●生い立ち
陸奥国耶麻郡熱塩村(現在の福島県喜多方市)に渡辺利左衛門、りえの長女として誕生。生家は会津藩領の商家(油商)で、山形に支店もあった。岩4歳のとき折から天保の大飢饉が始まり、会津でも天変地異や凶作のため農村は疲弊していた。天保8年(1837年)9歳で父急病となり死別、その49日後に家が火災に遭い、母の実家である温泉業「山形屋」に母、弟と3人で身を寄せることとなり、瓜生姓を名乗る。

14歳のときに若松に住む叔父、山内春瀧のもとに行儀見習いのために預けられる。春瀧は会津藩侍医で、産科と婦人科に秀で、和漢の学に通じ、仏教に造詣が深かった。この叔父から教えられた実践的な哲学と堕胎防止の啓蒙運動こそ、岩に大きな影響を与えたのであった。

弘化2年(1845年)17歳の春高田在の名主佐瀬氏の次男茂助を婿養子に迎え、若松に呉服店を開く。やがて1男3女をもうけ、商売も順調に進むかにみえたが28歳のとき、夫茂助が喀血、以後夫の看病、子供の世話、夫に代わっての商売と精一杯の人生を歩む。こうした矢先、頼りとする叔父が他界、番頭が店の金を持ち逃げするなど不幸が相次ぎ、7年間の臥床の末に夫は死亡、翌年には母も他界。

なすすべもなく母と同じ運命を背負って熱塩の瓜生家に再び身を寄せたのである。絶望に打ちひしがれた岩は、母の菩提寺示現寺の隆覚禅師に「尼になりたい」と訴えると、逆に「お前より不幸な人は大勢いる、もっと不幸な人のために捧げなさい」と諭され、師の貧者救済の教えに立ち直ったという。

●経歴
しかし岩が戻った会津は、戊辰戦争に巻き込まれ、一般の民衆を貧困のどん底に陥れていた。明治元年(1868年)9月、鶴ヶ城開城。前藩主松平容保とその藩士はそれぞれ領内各地に謹慎の身となり、やがて西軍により民政局が組織された。岩の社会活動は、まさにこの会津戦争の中から始められた。敵味方なく行われた救済の逸話は勇敢な岩の姿を次のように伝えている。

「稲田や街道の泥に顔を埋めて倒れている戦死者に野菊を手折って供えたり、苦しんでいる傷兵を介抱したり、そういう慈悲の衝動に支配されて日暮れるのも忘れて歩き回った 。
— 佐藤民宝『菩薩行路』

岩の住む喜多方にも藩士とその家族が割り当てられた。岩はその生活を助けるために私財を投じて衣類や夜具、玩具などを与えた。やがて子弟の教育を願って幼学校の設立を思い立ち、民政局に出願するも受け入れられず、待ちきれなくなった岩は翌明治2年(1869年)6月に私財を投じて小田付村幼学校を設立する。会津藩教育の主柱であった藩校日新館の復興を願ったものであったが、武芸に代わって特に算術や算盤を採り入れたのである。

廃藩置県によって禄を失った武士の、生きる道に役立つ方法を考えたのである。一方、岩は藩士やその家族のために、会津の産業である養蚕や機織り、漉返し紙の製造、染形紙、畳表や笊、籠などの技術を教え、更生への手立てを与えた。幼学校は近郷に知れ渡り、やがてその業績を認められ民政局から表彰されるなど、その事業は軌道に乗ったかにみえた。

しかし翌明治3年(1870年)、旧会津藩が陸奥国斗南へ3万石で移封され、旧藩士もそれに伴うことになり、幼学校の生徒は半減、また明治5年(1872年)小学校令の予告が政府から会津地方にもあり、小田付村幼学校は閉鎖。岩はこれを機にかねてから興味のあった貧民救済事業の実際を学ぼうと上京する。

捨児、孤児や老疾者を収容していた佐倉藩大塚十右衛門の救養会所を視察、帰郷後喜多方の長福寺を借り受け、行路病者や幼学校での貧困者、孤児を移して世話をする。同時に農家の娘たちを集め裁縫教授所を設けた。当時会津で盛んに行われていた観音講や念仏講に自ら足を運び堕胎防止も訴えた。明治15年(1882年)、ときの県令三島通庸の会津三方道路建設強行により福島事件が起きるが、岩は三島の知遇を得ることになり、単なる私的活動が公的性格を帯びると同時に範囲も拡大、喜多方から福島県下、さらに東京へと広がることになる。

明治19年(1886年)岩は福島の長楽寺に移り住み、救育所設立の運動に没頭、明治23年(1890年)福島救育所として陽の目をみる。しかし資金調達が思わしくなく、明治24年(1891年)岩は上京し窮民貧児のための救済機関として救養会所の全国設置を求め、第1回帝国議会に女性として初めて請願書を提出。これと前後して東京市養育院に招かれ幼童世話掛長の職に就いた。

育児会設立のために帰郷を促された岩は、同年12月に若松、喜多方、坂下3ヶ所に貧児を養育する育児会を設置、翌明治25年(1892年)には福島瓜生会を設立。さらに26年に仏教徒による福島鳳鳴会を組織、貧困者の救済に尽力、明治28年(1895年)に鳳鳴会は育児部を独立、これがのちの福島育児院となる。
日清戦争が始まると岩は東京下谷に移り、いも飴、飴粕の利用で戦時食品の普及を図る一方、後藤新平と出会い、無料診療所の全国設置を企画、台湾の救養活動を計画して長男祐三を台湾に送った。この間三陸津波の救援活動等精力的に救済事業に奔走、明治29年(1896年)に女性初の藍綬褒章を受章するも、明治30年(1897年)福島で過労のため病臥、福島瓜生会事務所にて死去した。

老いの身の ながからざりし 命をも 助けたまへる 慈悲の深さよ

岩死の二日前の和歌という。墓は喜多方市熱塩加納町の示現寺にある。明治34年(1901年)、浅草公園に大熊氏広作の銅像(座像)が建立された。岩子の生涯を顕彰した「押切川~岩子のように~」(詞曲・板谷隆司、歌・加納ゆうこ)という歌がある。

自動販売機のうどん「レトロ自動販売機」を道の駅が持ち帰り用パックとして11月1日から販売開始

秋田市の秋田港近くで40年以上親しまれ、現在は同市土崎港西の道の駅「あきた港」で営業している自動販売機のうどん「レトロ自動販売機」を多くの人に食べてもらおうと、道の駅が持ち帰り用パックとして、11月1日から道の駅あきた港内の物産館「セリオンガーデン」で販売を始めた。

 

 自販機は道の駅近くの船舶向け食品販売業「佐原商店」が3月に廃業後、4月に道の駅に移設された。

 自販機は近くの「佐原商店」に設置され、40年以上親しまれてきた。4月29日に道の駅に移転して半年になるが、土、日曜には県内外から大勢の客が訪れる。

つゆを温めるのに時間がかかる上、故障も多く、遠方から来た客が食べられないことも多かった。持ち帰りができれば遠方の客も自宅で食べられるほか、「家族のために持ち帰りたい」との声が寄せられたことから販売を決めた。

 中古部品を集めた「4代目」の自販機はフル稼働しても1日に200杯作るのが限界だ。突然故障することもある。遠方から訪れたのに食べられない人もいるため、道の駅あきた港は、麺やつゆ、てんぷらの味もそのままに持ち帰り用パックを販売することにした。ネギとナルトは入らない。


1パック210円(税込み)で、自販機のうどん(250円)より安い。カップは自販機と同じものを使う。そばも持ち帰り用パックの製造を検討している。

 麺やつゆ、天ぷらは自販機と同じ食材を使用。佐原商店の元店長佐原澄夫さん(65)は「懐かしい味を多くの人に楽しんでほしい」と話す。

午前9時~午後6時、道の駅1階の物産館セリオンガーデンで購入できる。売り切れ次第終了。そばの持ち帰り用カップの販売は未定。連絡先は道の駅018(857)3381。