みちのくより愛をこめて 0007

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第20回いわきふれあいウオーキング大会開催 120人が参加

いわきの自然を満喫 「ふれあいウオーキング」に120人

120人の参加者たち 小太郎町公園を出発し43キロコースをウオーキング
 
 第20回いわきふれあいウオーキング大会は7日、いわき市平の小太郎町公園をいずれも発着点とした三つのコースで開かれ、参加者がいわきの景勝地や自然を巡り、心地よい汗を流した。


  同実行委員会の主催。震災からの復興を祈念するとともに、参加者の健康増進を図ろうと毎年開かれている。県内外から約120人が参加した。


  コースは歩行距離43キロの「いわき岬めぐり」、24キロの「いわき名勝地 沼ノ内弁天様」、13キロの「あじさい・田園散策」の3コースを設けた。


  参加者は青空の下、浜風を浴びながら海沿いの道を思い思いに歩を進めて、塩屋埼灯台やいわき・ら・ら・ミュウなどを巡った。

 

★いわき市(いわきし)は、福島県浜通り南部にある市。福島県内で最大の面積を持ち、中核市に指定されている。


面積
1,232.02km²
 

総人口
324,831人
 (推計人口、2015年5月1日)

人口密度
264人/km²

歴史
1889年(明治22年)4月1日 - 好間村、川前村、大久村が発足。
1902年(明治35年)6月1日 - 久之浜町が発足。
1937年(昭和12年)6月1日 - 平市が発足。
1941年(昭和16年)4月1日 - 田人村が発足。
1954年(昭和29年) 3月31日 - 常磐市、磐城市が発足。
7月29日 - 内郷市が発足。

1955年(昭和30年) 2月11日 - 小川町、三和村が発足。
3月10日 - 四倉町が発足。
3月31日 - 遠野町が発足。
4月29日 - 勿来市が発足。

1963年(昭和38年)7月12日 - 当地を含む「常磐・郡山地区」が新産業都市に閣議決定[2]。7月14日に新産業指定都市祝賀パレードを開催。
1964年(昭和39年)3月3日 - 当地を含む「常磐・郡山地区」が新産業都市に指定。
1966年(昭和41年)10月1日 - 新産業都市建設促進法第23条に則って、上記14市町村(5市4町5村)が新設合併し、いわき市が成立[2]。当時としては面積が日本一広い市となった。
1967年(昭和42年)11月3日 - 市章・市歌を制定。
1968年(昭和43年)10月6日 - 鈴木直が市内大久地区でフタバスズキリュウの化石を発見。
1971年(昭和46年)10月1日 - 市の木クロマツ制定。
1973年(昭和48年)3月20日 - 現在の市役所本庁舎開庁。市の花ツツジ制定。
1975年(昭和50年) 4月28日 - いわき市フラワーセンターオープン。
5月2日 - いわき市文化センターオープン。

1976年(昭和51年) 9月1日 - 常磐炭鉱完全閉山。
10月1日 - 市民憲章制定。

1979年(昭和54年)4月23日 - 「いわきナンバー」の交付開始。自動車のナンバープレートとしては初のひらがなナンバーとなる。
1982年(昭和57年)4月15日 - 撫順市と友好都市締結。
1984年(昭和59年) 4月28日 - いわき市立美術館オープン。
10月18日 - いわき市石炭・化石館オープン。

1985年(昭和60年)8月1日 - いわきマリンタワーオープン。
1986年(昭和61年)8月10日 - 秋田県由利郡岩城町(現由利本荘市)と親子都市締結。
1988年(昭和63年)3月24日 - 常磐自動車道が日立北IC-いわき中央IC開通により最初の全線開通。
1991年(平成3年)8月21日 - タウンズビル市と国際姉妹都市締結。
1994年(平成6年)12月3日 - 平駅がいわき駅に名称変更。
1996年(平成8年)10月1日 - 市の鳥かもめ制定。
1997年(平成9年) 5月30日 - 宮崎県延岡市と兄弟都市締結。
7月25日 - いわき・ら・ら・ミュウオープン。
10月1日 - 磐越自動車道が西会津IC-津川IC開通により全線開通。

1999年(平成11年)4月1日 - 中核市に指定される。
2000年(平成12年)7月15日 - アクアマリンふくしまオープン。
2001年(平成13年) 5月21日 - 浜通り唯一の百貨店、大黒屋が創業100周年の年に閉店。
10月1日 - 市の魚めひかり制定。

2003年(平成15年)4月1日 - 静岡市と清水市の合併により、いわき市が日本一広い市でなくなる。
2006年(平成18年)5月19日 - フタバスズキリュウが発見から38年経って新属新種の首長竜と判明。学名をフタバサウルス・スズキイとする。
2007年(平成19年)10月25日 - いわき駅を橋上駅舎化。
2008年(平成20年) 1月6日 - 第1回 いわきフラオンパク開催。
4月8日 - いわき芸術文化交流館アリオスオープン。

2010年(平成22年) 2月14日 - 第1回 いわきサンシャインマラソン開催。福島県内初の日本陸上競技連盟公認コースで開かれるフルマラソン大会となった。
8月3日 - 小名浜港が重点港湾に指定される。

2011年(平成23年) 3月11日 - 東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が発生。いわき市で震度6弱を観測。
4月11日 - 福島県浜通り地震が発生。いわき市で震度6弱を観測。翌12日にも6弱を観測。以降、震度5以上の余震が頻発する。
9月4日 - 第1回フラガールズ甲子園開催。東日本大震災の影響で第1回大会のみ東京・秋葉原で開催された。第2回以降はいわきアリオスで開催。

2013年(平成25年) 7月22日 - 東日本大震災の復興支援試合として、マツダオールスターゲーム2013の第3戦をいわきグリーンスタジアムにて開催。福島県初の球宴開催となった。
9月1日 - いわき市発足以来初めて福島県内最大都市でなくなる(この日時点の推計人口がいわき市:327,993人、郡山市:328,112人となり県内最大都市の座を郡山市に明け渡す)。

2015年(平成27年) 3月14日 - 上野東京ライン開業により、常磐線の特急列車が品川駅乗り入れを果たし、東京駅までダイレクトアクセスできるようになる。
5月22日 - 第7回太平洋・島サミット(いわき太平洋・島サミット2015)開幕。福島県初の各国首脳級の国際会議となった。

 

●東日本大震災と福島第一原子力発電所事故

2011年3月11日の東日本大震災では当市も被災し、震度6弱を観測した。宮城沖から茨城沖の震源域の中間にあたる本市は、震度4以上の揺れが3分10秒に渡って続き、これは当震災を観測した震度計の中で最大の長さであった。また、気象庁の推計震度分布図によると、市北東部で局地的に震度7相当の揺れがあったとみられている。

 

翌月4月11日には、市内南西部の井戸沢断層付近を震源とする内陸直下型地震である福島県浜通り地震が発生し、震度6弱を観測した。この地震により、井戸沢断層と塩ノ平断層、また市内中西部の湯ノ岳断層が同時多発的に数十キロに渡ってそれぞれずれ動いた。

 

湯ノ岳断層は過去の活動が14万年前、塩ノ平断層に至っては未知の断層であり、当震災のひずみにより誘発されたものであると考えられる。これにより市内の至る所で断層(最大落差2m)や地割れ・亀裂が出現し、また土砂崩れも相次いだ。また、翌日には湯ノ岳断層付近を震源とした震度6弱の余震も発生した。

 

この一連の地震活動と津波により、市内の全半壊戸数は仙台市に次ぐ約4万戸に上り(一部損壊も含めると9万戸)、死者は津波や土砂崩れによるものを中心に400名以上に及んだ。

 

また、上記に含め大熊町で発生した福島第一原子力発電所事故によって市北部が屋内退避区域に指定されるなどの影響もあり、1年半後に市が無作為に抽出したアンケートによると、回答者のほぼ半数が当震災と原発事故により一時的に市外へ避難したと答えた。このため市ではおよそ15万人が避難したと推測している。3ヶ月ほどでほとんどの市民が戻ったが、半年間で約7,000人の人口が転出した。

 

福島第一原子力発電所の事故では、歴史的・経済的に繋がりの強かった双葉郡の住民を中心に約24,000人(2013年4月現在)が避難しており、いわき市を転出した住民の減少分を上回っているため、結果的に人口が増加している。

 

いわき市に臨時の役場機能(一部を含む)を置いているのは、楢葉町と富岡町と大熊町(原発1 - 4号機所在地)である。また2013年現在、埼玉県にある双葉町役場(原発5 - 6号機所在地)も再移転先を当市に決定し、2013年6月に移転予定である。


 この4町は、住民避難先最多がいわき市であり、浪江町も2,000人以上の避難者がいるため出張所を置いている。 広野町も臨時役場を置いていたが、緊急時避難準備区域の解除に伴い、2012年3月に帰還した。(しかし2013年5月時点で住民の9割がいわき市居住)

 

いわき市は被災者用として、解体予定だった雇用促進住宅630戸を急遽開放したり、市営・県営住宅を活用するなどして、市民に対する仮設住宅の建設は200戸程度であった。しかし、双葉郡の避難者向けの仮設住宅が市内各地に3,300戸以上建設された。

 

賃貸物件も、被災したいわき市民と双葉郡民によって多くが借り上げられているほか、東京電力3施設(福島第一原子力発電所・福島第二原子力発電所・広野火力発電所)に関わる社員や、除染作業の本格化による除染作業員や復旧作業員の居住地にもなっているために需要がひっ迫しており、2013年4月現在でも市内への転勤者・進学者が入居物件を見つけられない事例もある。賃貸物件の入居待ち予約者が100人以上という賃貸仲介会社もあり、深刻な状況が続いている。

2013年6月の双葉町役場のいわき市移転に伴い、いわきへの居住を希望する双葉町民も多く、また、現在地の避難先から故郷に近く気候の似たいわき市へ移りたいという希望は未だに多く、賃貸不足の状況はしばらく続きそうである。

 

住宅地の地価も上昇しており、2013年1月1日時点での公示地価は、泉もえぎ台や中央台で10パーセント以上も上昇し、住宅地上昇率がそれぞれ全国6位と8位に入るなど、住宅地の平均変動率が16年ぶりに前年比プラスになった。これも、いわき市内の需要に加え、双葉郡内の被災者が帰郷を諦めて市内の宅地を購入しているためと考えられる。

経済

主な産業
高度経済成長期が到来する前は、常磐炭砿など常磐炭田の石炭産業を中心に、小名浜港の漁業、林業、農業といった第一次産業で発展した。
常磐炭砿閉山後、大規模合併を期に工業化を図る。湯本地区の温泉やリゾート施設、海岸部の灯台・水族館あるいは海水浴・サーフィンを中心とした観光、市立美術館、勿来の関をはじめとする文教面での観光資源なども存在する。
労働統計(2000年) 就業人口:175,324人
総生産:12,662億円


特産物
苺 - 「ふくはる香」と「とちおとめ」など年間1億円以上を出荷している