みちのくより愛をこめて 0007

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福島・田村市の大鏑矢神社で、1200年以上続く伝統行事「夫婦獅子舞」が行われ、福を呼び込む

 福島・田村市の大鏑矢神社で、1200年以上続く伝統行事「夫婦獅子舞」が行われた。

 夫婦獅子舞を迎える家では、お神酒などを用意して五穀豊穣(ごこくほうじょう)や家内安全を願う。夫婦獅子は、仲むつまじい舞を披露し、頭を口で挟んで福を呼び込んだ。

田村市船引町の大鏑矢神社に伝わる年頭行事「夫婦(めおと)獅子舞お渡り」は3日、船引町内で繰り広げられた。

 大同2(807)年に2つの獅子頭が舞い降り、神社に安置されたのが起源と伝えられる。新年の家内安全や商売繁盛などを願い、夫婦獅子舞保存会が受け継いでいる。

 神社本殿で舞を奉納した後、氏子宅や商店、公共施設など約20カ所を渡り歩き、2匹の獅子が太鼓とかねの音に合わせて息の合った舞を披露した。

 一年の健康を願って獅子に頭をかんでもらう親子の姿も見られた。

同神社の夫婦獅子舞は807(大同2)年、天から降ってきた二つの獅子頭を同神社に移して舞を披露したのが始まりとされる。同市の無形民俗文化財に指定されている。


★大鏑矢神社
概要: 大鏑矢神社の創建は不詳ですが、伝承によると延暦20年(801)に大多鬼丸を討つ為この地に訪れた坂上田村麻呂が鏑矢を奉納し戦勝祈願し、見事勝利すると神意に感謝し社殿を造営したと伝えられています。

又、田村麻呂は、鞍掛山に登り鏑矢を放ち、落ちた所を本陣として戦を挑んだ所見事大多鬼丸を討つ事が出来た故事から大鏑矢神社の名称の由来となり、後に田村麻呂の神霊も勧請、合祀されます。
以来、歴代領主から崇敬され、北畠顕家(延元2年:1337年、兵火で焼失後に社殿を再建)や結城満朝(永享12年:1440年に祈願)、田村清顕(天正4年:1576年に鏑矢を奉納)などが社領の寄進や社殿の造営をしています。

江戸時代に入ると三春城城主となった秋田氏の崇敬社となり特に3代藩主秋田輝季は天和3年(1683)に安瀬六兵衛、斎藤太良衛など共に社殿を造営しています。
寛政6年(1794)に京都の吉田家から「大鏑矢大神宮」の称号を賜り、明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が一掃され明治6年(1873)に郷社に列しています。

拝殿(入母屋、銅板葺、平入、桁行6間、正面1間向拝付)は明治24年(1891)に建替えられたものですが本殿は天和3年(1683)当時の古建築物で、一間社流造、社宝の御鉄鉢と鏑矢は共に国重要美術品に指定されています。祭神は高皇産霊神、大鏑矢神、坂之上田村麿命。

大鏑矢神社の文化財
 ・ 夫婦獅子舞祭-伝:大同2年から行われている-田村市指定無形民俗文化財
 ・ 御鉄鉢-文明19年(1487)、船引城主船引朝国奉納-国重要美術品
 ・ 鏑矢-天正4年(1576)、三春城主田村清顕奉納-国重要美術品