みちのくより愛をこめて 0007

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地域住民を津波から守る「津波避難ビル」がいわき市に3月13日完成

いわき市久之浜町に、地域住民を津波から守る「津波避難ビル」が完成し13日、現地で落成式が行われた。

 市の地域防災交流センター久之浜・大久ふれあい館で、東日本大震災の津波で地域が被害を受けた教訓を踏まえて建設した。鉄筋コンクリート3階建てで、延べ床面積は約2200平方メートル。事業費は約13億5千万円。

 災害時には同館より海側300メートルの範囲に住む約260人を、2、3階の4室に収容する。
3日分の水と食料を防災倉庫に保管し、自家発電設備と受水槽を整備した。2階の高さを地上5・5メートルにして、津波による浸水を防ぐよう工夫した。館内には5年前の3月11日に津波が押し寄せた高さや海抜を表示し、防災意識を喚起している。震災の資料室も設けた。平常時は支所・公民館として活用する。

 落成式には住民ら約100人が出席した。清水敏男市長が「復興事業を最優先に取り組む」とあいさつ。根本茂市議会議長、青木稔県議が祝辞を述べた。清水市長ら関係者がテープカットし、地元のコーラス愛好会のメンバーが「たしかなる風~ふるさと久之浜・大久」を披露した。


★いわき市
いわき市(いわきし)は、福島県浜通りの南部に位置する市。福島県内で最大の人口および面積を持ち、中核市に指定されている。

面積 1,232.02km²

総人口 349,016人 (推計人口、2016年2月1日)

人口密度 283人/km²

隣接自治体
田村市、田村郡小野町、
双葉郡広野町、楢葉町、川内村、
石川郡古殿町、平田村、
東白川郡鮫川村
茨城県北茨城市

概要
福島県浜通りの南部を占める面積の広い市である。古代は石城国造(北部)や道奥菊多国造(南部)の領土であり、平安時代の12世紀から関ヶ原の戦いまでは岩城氏の本拠地として栄えていた。明治から昭和にかけて当時本州最大かつ東京に最も近い炭鉱である常磐炭田の開発で繁栄した歴史を持つ。

沿岸工業地帯、漁港、観光都市としての特色が強い。積雪が珍しいほどに一年中温暖であり、日本のハワイと称され、リゾート施設スパリゾートハワイアンズおよびフラガールを核にハワイ色を強く出した観光イメージで成功を収めている。その他にアクアマリンふくしま、いわき湯本温泉などの観光資源を持っており、観光交流人口は県内第1位である。

東京都心からはおよそ180km。県庁所在地の福島市からいわき市はおよそ80km圏内に位置する。

地理
福島県の東南に位置し、太平洋に面した60kmに渡る海岸線に、10箇所の海水浴場と小名浜港を初めとする11箇所の港を持つ。また、南は茨城県と接している。市の面積は広大だが、常磐道から西側は阿武隈高地の山間部であり、残る東側も丘陵地が多く、市街地と市街地が丘陵によって分断されて連続性がないのが特徴である。面積に対する可住地面積の割合は27.7%と、県内の市の中では最も低い。JR常磐線では、トンネルと市街地が交互に現れる。

東北地方内では年間日照時間が最も長く、1日の平均気温が最も高い。沿岸部のため冬は内陸部よりも冷えにくく、夏は内陸部よりも暑くなりにくく、年間の寒暖の差が小さい。また冬は日本海側から流れる雪雲が越後山脈、奥羽山脈、阿武隈高地に遮られるため、山間部を除いて雪はほとんど降らず、乾燥した快晴の日が多い。平均積雪量は東北地方の中では極端に少なく、数年に1度積もる程度、東京や名古屋などとほぼ同じ値[1]となっているため、東北地方にありながら、市民は雪に慣れていない。

平県、磐前県を経て、最終的に1876年に福島県に組み込まれたものの、歴史的には陸前浜街道を介して(現在の)茨城県との繋がりが深かったため、方言や習慣は同じ福島県よりも茨城県に近い。明治維新以後も、常磐線や常磐自動車道などの交通網が茨城側から順に整備されたため、阿武隈高地を超えた中通りよりも、茨城県との交流が近密であった。1995年に磐越自動車道で福島県中エリアと結ばれ、中通りや会津地方との交流も活発になってきている。

広大な面積
磐城地方は、基幹産業であった常磐炭田と水産業の斜陽化が進み、早急な方向転換を迫られていた。そのため全国総合開発計画に基づく新産業都市の指定を「常磐・郡山地域」として受けるべく、県が主導となり、促進されていた市町村合併を成立させた。これにより、当時としては日本一広い面積(1,231.13km²)のいわき市が誕生した(現在は15番目である)。

なお、本市は長野県諏訪郡ちの町(現茅野市)、山口県阿武郡むつみ村(現萩市)、青森県むつ市についで4例目のひらがな名の自治体でもある。

「いわき」の漢字表記は「岩城」「磐城」「石城」であるが、歴史で変遷があり、国造と律令制下の郡名が「石城」で、本市を本拠地にした戦国大名の姓が「岩城」で、徳川藩政時代と明治令制国が「磐城」となっている。しかし、1966年10月1日に市町村が合併する際に「磐城市」(小名浜地区)が合併する地域に含まれていたため、市町村長の政治的妥協でひらがなの「いわき」になった。なお、「いわき」を漢字で表記する場合、学校や施設、行政機関名は「磐城」を用いている例が多い。

また、福島市から遠方であることに配慮して、1979年4月に、本市にいわき自動車検査登録事務所がおかれ、「いわきナンバー」が新設された。 これは初のひらがなナンバープレートであった。

自然

川:夏井川、好間川、鮫川
山:矢大臣山、鬼ヶ城山、屹兎屋山、猫鳴山、芝山、神楽山、朝日山、鶴石山、二ッ石山、水石山、塩見山、二ッ箭山、湯ノ岳、閼伽井嶽、石森山
温泉:久之浜温泉、白岩温泉、地切温泉、いわき湯本温泉(常磐湯本温泉)、白鳥温泉、吉野谷鉱泉
海岸:波立海岸、菊多浦(勿来海水浴場)

歴史
2011年(平成23年) 3月11日 - 東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が発生。いわき市で震度6弱を観測。
4月11日 - 福島県浜通り地震が発生。いわき市で震度6弱を観測。翌12日にも6弱を観測。以降、震度5以上の余震が頻発する。
9月4日 - 第1回フラガールズ甲子園開催。東日本大震災の影響で第1回大会のみ東京・秋葉原で開催された。第2回以降はいわきアリオスで開催。

2011年3月11日の東日本大震災ではいわき市も被災し、震度6弱を観測した。宮城沖から茨城沖の震源域の中間にあたる本市は、震度4以上の揺れが3分10秒に渡って続き[8]、これは当震災を観測した震度計の中で最大の長さであった。また、気象庁の推計震度分布図によると、市北東部で局地的に震度7相当の揺れがあったとみられている。

翌月4月11日には、市内南西部の井戸沢断層付近を震源とする内陸直下型地震である福島県浜通り地震が発生し、震度6弱を観測した。この地震により、井戸沢断層と塩ノ平断層、また市内中西部の湯ノ岳断層が同時多発的に数十キロに渡ってそれぞれずれ動いた。

湯ノ岳断層は過去の活動が14万年前、塩ノ平断層に至っては未知の断層であり、当震災のひずみにより誘発されたものであると考えられる。これにより市内の至る所で断層(最大落差2m)や地割れ・亀裂が出現し、また土砂崩れも相次いだ。また、翌日には湯ノ岳断層付近を震源とした震度6弱の余震も発生した。

この一連の地震活動と津波により、市内の全半壊戸数は仙台市に次ぐ約4万戸に上り(一部損壊も含めると9万戸)、死者は津波や土砂崩れによるものを中心に400名以上に及んだ。