みちのくより愛をこめて 0007

東日本大震災の復興・再生を祈願して東北のニュースや浮世の話題等をお届けしています。

宮古港が開港400周年を迎え、宮古市中心部で24日、開港時代行列が繰り広げられた

開港400年 宮古港、時代行列で祝う 

宮古港開港400年を祝った時代行列


 
 宮古港が開港400周年を迎え、宮古市中心部で24日、開港時代行列が繰り広げられた。関係者が藩制時代の装束をまとって練り歩き、歴史の節目を祝った。

 馬に乗った南部家46代当主の南部利文さん(45)をはじめ、盛岡、八戸両市など南部家にゆかりがある自治体の首長らが参加した。盛岡さんさ踊りの団体や地元の子どもたちと一緒に、JR宮古駅前近くから市役所までの約1.3キロをパレードした。

 市役所では山本正徳市長が一行を出迎え「おいでいただき祝着至極に存じます」と歓迎の口上を述べた。南部さんは「宮古の地が震災から復興することを希望する」と返した。

 市によると、宮古港の歴史は、南部家27代当主で初代盛岡藩主南部利直が慶長大津波から4年後の1615年に視察で訪れた際、藩の外港に定めたのが始まりという。

 市は記念事業として、8月に国際交流ジュニアヨット大会、9月にみなとオアシスSea級グルメ全国大会を開催する。

★宮古市(みやこし)は、岩手県の三陸海岸に面する市。本州最東端の地である魹ヶ崎を擁する。
 
面積
1,259.15km²
 

総人口
55,593人
 (推計人口、2015年2月1日)

人口密度
44.2人/km²

宮古市は「本州最東端のまち」を掲げ、三陸沖の豊かな資源と、三陸復興国立公園・浄土ヶ浜や早池峰国定公園を代表とする海・山・川の豊かな自然環境を背景に、漁業と観光に力を入れている。

 相次ぐ市町村合併により広大な面積を持ち、それは琵琶湖の面積の約2倍、日本一狭い都道府県である香川県の面積の約70%ぐらいである。山間部の川井・新里地区と、北部の田老地区、旧・宮古市部に大きく分けられる。

人口は岩手県沿岸部の市町村の中で最も多いが、県庁所在地である盛岡市からは北上山地を隔てて車で2時間という地勢的不利のため、人口も経済も減退傾向にある。また老齢人口比率も30%を超えている。

2011年3月11日に発生した東日本大震災により大きな被害を受けた。市内中心部の被害はある程度抑えられたものの、田老地区を始め沿岸の集落は壊滅的被害を受けた。

盛岡藩の外港
現在の宮古市の発祥は、初代盛岡藩主、南部利直によって盛岡藩の外港として宮古の町が開かれたことに由来する。
また現在の普代村から山田町豊間根までの行政を管轄する宮古代官所(北閉伊代官所)が置かれ、周辺地域の政治、経済の中心地であった。

 

江戸時代に東北と江戸とを結ぶ海運が盛んになると、沿岸部で産出される俵物を集荷し江戸へ移出するための拠点となり、前川善兵衛や鍬ヶ崎の和泉屋などの三陸の水産物を取り扱う豪商や、廻船問屋の活動が活発となった。また東北諸藩が江戸へ米や材木などを輸送するための廻船の重要な寄港地として、料亭や遊郭が軒を連ねる奥州でも有数の商港として賑わった。

産業
古来、水産業で栄え、特産品としては、サケ、イクラ、ウニ、アワビ、毛ガニ、ワカメなどが挙げられる。

 平成22年の水揚高は48,897tと、全国主要港中15位である。特にサケやサンマ、スケトウダラは全国屈指の水揚げを誇る。

工業では、ヒロセ電機や関連企業などによる電子部品の製造、ラサ工業宮古工場によるガリウムの生成、製造と同NCRI事業部による石油精製触媒の再生事業、コープケミカル宮古工場による化学肥料製造やホクヨープライウッド(株)による合板加工などが主産業である。

 宮古税関管内の平成22年の輸出入貿易額は13億66百万円で、そのほとんどがこれら工業に関わる木材とリン鉱石の輸入が占める。
 輸出では対ロシア向けの水産加工物の輸出と、対中国向けの県産りんごの輸出が若干あるのみである。

 平成22年の製造品出荷額は7,788(千万円)で、岩手県内で8位である。
 平成24年度の一人当たり市町村民所得は230万円(県調査統計課)で、県内では平均レベルであるが、全国的に見ればかなり低い水準である。

震災による影響
宮古市の東日本大震災による被害総額は2457億円と推計されており、このうち住宅被害が1496億円と全体の約61%を占めている。

また市内では1078の事業所が被災し、業種別ではサービス業が547事業所(51%)、商業が334事業所(31%)、製造業125事業所(12%)などとなっている

名所・旧跡・観光施設、等
 浄土ヶ浜
三陸復興国立公園の中心的な名勝(1955年指定)。岩手県指定名勝(第1号)(1954年指定)であり、日本の白砂青松100選(1987年)、および、かおり風景100選(環境省、2001年)の選定地 でもある。
魹ヶ崎:本州最東端の地。 本州最東端の碑
魹ヶ埼灯台:本州最東端の灯台。

臼木山
ローソク岩
潮吹穴
日出島
重茂の大ケヤキ
森の巨人たち百選に「『森林浴の森』の木」名義で選定されている。
真崎海岸
早池峰山:日本百名山に選定されている。
区界高原

旧跡
崎山貝塚:縄文時代の貝塚。
横山八幡宮
黒森神社
宮古港海戦記念碑
明治2年3月25日(1869年5月6日)に起こった宮古湾海戦の記念碑。
大津浪記念碑
1933年(昭和8年)の昭和三陸地震による津波の後で建てられた災害記念碑で、「此処より下に家を建てるな」との先人訓が東日本大震災の津波から現地・姉吉地区の住民の命を守った。

観光施設・多目的施設
土産物 宮古魚菜市場

海水浴場 浄土ヶ浜海水浴場:三陸復興国立公園内の景勝地「浄土ヶ浜」内にある海水浴場で、2001年(平成13年)に日本の水浴場88選(環境省)、2006年(平成18年)には「浄土ヶ浜の潮のかおり」名義で快水浴場百選(環境省)の選定地となった。
女遊戸海水浴場
真崎海岸海水浴場
蛸の浜海水浴場
藤の川海水浴場
大須賀海水浴場

展示館など
岩手県立水産科学館
宮古市北上山地民俗資料館
薬師塗漆工芸館
西塔幸子記念館
寄生木展示室(山口公民館)

みなとオアシスみやこ

浄土ヶ浜ビジターセンター
浄土ヶ浜マリンハウス
浄土ヶ浜レストハウス

他の名所・施設
がっかり島:珍地名で知られる無人島。
ラサの煙突
ラサ工業宮古工場構内にある、日本で2番目に高い煙突(高さ160m)。小山田地区にある標高90mの山上に建ち、煙突本体と併せて250mの高さを誇る。1939年(昭和14年)6月の操業開始以来、長らく宮古のランドマークである。


田老の防潮堤
田老地区の沖合いに建設された防潮堤。 田老の防潮堤は時代を追って巨大かつ堅牢なものとなり、高さ10m・長さ2.4kmにも及ぶに至り、中国の万里の長城になぞらえて「田老万里の長城」「田老の万里の長城」などと雅称されるようになった。

海側と陸側の2重構造になっている、日本最大規模の防潮堤であったが、2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災では、地震直後に20m級の津波が押し寄せたため、海側に面した堤防の半分が崩壊した。
ラサ工業田老鉱山跡
現在は明星大学の所有地である。

祭り
宮古鮭まつり
浄土ケ浜まつり
宮古夏祭り
宮古秋祭り
川井村郷土芸能祭

伝統芸能
黒森神楽:国の重要無形民俗文化財(2006年3月15日指定)。
小沢獅子踊:市指定無形民俗文化財。

宮古を舞台とした作品
映画大いなる旅路
喜びも悲しみも幾歳月:ロケ地。1957年(昭和32年)製。
トラック野郎・一番星北へ帰る:1978年(昭和53年)、東映。宮古港、浄土ヶ浜、国道106号。
あの夏、タイムマシーンにのって:宮古市民参加自主制作映画。2005年(平成17年)製。
漫画こちら葛飾区亀有公園前派出所:第8巻収録。アドリブ旅行シリーズ。1978年(昭和53年)。

出身著名人
江戸時代南部重信 - 第3代盛岡藩主
牧庵鞭牛 - 僧侶、土木技術者
久保田礼斎 - 儒学者(亀田鵬斎門下)、盛岡藩医
高橋文中 - 儒学者(井上蘭台門下)、盛岡藩医
山崎鯨山 - 儒学者(佐藤一斎門下)、歌人(梁川星巌門下)
明治小笠原善平 - 軍人
菊池長右衛門 (立憲政友会) - 政治家
菊池長右衛門 (日本自由党) - 政治家
鳥取春陽 - 演歌歌手、作曲家
大正吉田タキノ - 児童文学作家
中居英太郎 - 政治家
昭和菊池長右ェ門 - 政治家
玉澤徳一郎 - 政治家 元防衛庁長官、元農林水産大臣
本田竹広 - ジャズピアニスト
藤原敏男 - キックボクサー
茂市久美子 - 児童文学作家
柏葉幸子 - 児童文学作家
中村貴之 - ミュージシャン(NSP)
日蔭暢年 - 柔道家
久保田茂 - アナウンサー(NHK)
菊池清麿 - 伝記作家
伊藤奏子 - ヴァイオリニスト
高橋裕二 - アナウンサー(岩手めんこいテレビ)
天野こころ - AV女優
金澤未咲 - 演歌歌手
愛彩(浅田りょう) - グラビアアイドル
お船chan - 元女子プロレスラー
卯月妙子 - 漫画家
甲斐谷望 - アナウンサー(IBC岩手放送)
坂下敬 - 実業家、プロレスラー
佐香厚子 - 漫画家
工藤章 - モントリオールオリンピック銅メダリスト
藤倉健吉 - モントリオールオリンピック日本代表
星野夏澄 - モデルナレーター
LIKKLE MAI - 歌手
韓永大 - 美術史研究家
宮錦浩 - 大相撲力士
中洞正 - 農業経営者
三浦徳松 - 物理学者
平成みやさと奏 - 演歌歌手
生年非公表木村雅子 - アナウンサー(エフエム岩手 → フリー)

その他の関連事象
義経北行伝説
三陸沿岸では古来、源義経の末路について、「平泉にて自刃したのは臣下の将であって、義経自身は逃げ延び、沿岸を北上していった」と語り継がれてきた。
岩手県から青森県の沿岸にはこの言い伝えを残す寺社が多く存在し、史実はどうあれ、郷土史研究家の好奇心をくすぐる格好の材料となっている。

目黒のさんま祭り
宮古市は、東京都品川区上大崎で1996年(平成8年)以来毎年9月開催される「目黒のさんま祭り」に、第4回に当たる1999年(平成11年)以降、水揚げされたサンマ数千匹を無償提供している(2007年は5千匹、2008年は6千匹、2009年・2010年は7千匹)。