みちのくより愛をこめて 0007

東日本大震災の復興・再生を祈願して東北のニュースや浮世の話題等をお届けしています。

福島県浪江町 海岸復旧着手 県堤防、震災前より高く ビルドバックベター

■浪江の海岸復旧着手 県堤防、震災前より高く

ビルドバックベター


 福島県は3日、東日本大震災で被災した福島県浪江町の海岸施設の復旧工事に着手した。平成30年内に完了する予定。

 工事範囲は同町の棚塩、請戸中浜、浪江中浜各地区の海岸で、総延長は約2460メートル。波の威力を弱める離岸堤などの沖合施設を復旧した後、海岸堤防を造る。堤防は震災前の海抜6・2メートルより1メートル高い同7・2メートルにかさ上げし、防災力を強化する。

 同日、現地で安全祈願祭と着工式が行われた。馬場有町長ら関係者が開始ボタンを押して着工を合図すると、重機が消波ブロックをつり上げて作業に入った。
 馬場町長は「町の再生に向けて非常に大きな一歩」と語った。


★Build Back Better ビルドバックベターとは、今、被災地などの復興に使われている言葉で、

つまりは、前にあった状態に戻すという以上の震災などに強い街づくりをすることを指します。

★浪江町

浪江町(なみえまち)は、日本の福島県浜通り北部にある町。双葉郡(1896年以前は標葉郡)に属する。

面積
223.14 km²
 

総人口
18,265人
 (推計人口、2015年5月1日)

人口密度
81.9人/km²


町内東部の請戸漁港 は、県内最東端にあたる。

2011年(平成23年)3月11日、東日本大震災で被災。被害の一つとして発生した福島第一原子力発電所事故の影響を受けて、同月15日以降、仮役場が同県内の二本松市に設置され、多くの住民が移動・避難した(避難民と避難所は他にも散在)。


■震災以降
2011年(平成23年)3月11日:マグニチュード9.0の東北地方太平洋沖地震が発生し、浪江町は幾世橋地区で震度6強を観測した。さらにこの地震が引き起こした大津波によって町の沿岸部は壊滅的被害を受けた。

 

加えて、隣接する大熊町域で福島第一原子力発電所事故が発生し、以後、放射能漏れによって多大で長期的な影響を受けることとなった。

 

東日本大震災。 3月14日:原子力事故による放射性物質漏洩が深刻化し、同日午前に原発からの距離が半径10km圏内の全域(請戸地区等)、同日午後には浪江町東部全域が含まれる半径20km圏内の全域に避難指示が公示される。これを受け、二本松市役所東和支所内に仮役場(浪江町役場二本松事務所)が設置され、翌15日以降、約8千人が移動・避難した(避難住民と避難場所は他にも散在)。
3月24日:二本松市コミュニティバスが運行(福島交通津島線の代替運行)を再開。
4月1日:馬場有(ばば たもつ)町長らがYouTubeにて町民に声明を出す。
4月9日:この時点で、死者1人、行方不明者185人。
4月11日:原発より半径30km圏内にある地域(西部の大部分)が計画的避難区域に指定され、半径30km圏外にある地域(西部の一部)は緊急時避難準備区域に指定される。
4月14日:放射線量が低下したとして、原発より半径10km圏内の一部(浪江町では請戸地区)で福島県警による行方不明者の大規模捜索が始まる(約300人動員)。
4月22日:原発より半径20km圏内が警戒区域に指定される。
4月24日:『ザ!鉄腕!DASH!!』が番組内でDASH村の所在地域(福島原発より半径20-30km圏内の西部某所)と被災状況等を公表する(cf. DASH村#福島第一原子力発電所事故による影響)。

2013年(平成25年)4月1日:避難区域が再編される。(町の山間部などが帰還困難区域に指定される)

 

行政区域の変遷(市町村制施行以後)
 “浪江町(双葉郡)(福島県)の住所・地名の読み仮名”. 市町村.com. 2011年4月20日閲覧。1889年(明治22年)4月1日:村制が施行され、標葉郡浪江村(なみえむら)が成立。
1896年(明治29年)4月1日:標葉郡が双葉郡となる。
1900年(明治33年)3月1日:町制が施行され、浪江村が浪江町(なみえまち)になる。
1953年(昭和28年)10月10日:請戸村と幾世橋村を編入する。
1956年(昭和31年)5月1日:大堀村・苅野村・津島村を編入する。
1958年(昭和33年)4月1日:請戸地区に編入されていた、中野地区(旧・中野村)の全域と両竹地区(旧・両竹村[もろたけむら])の一部が、浪江町から分離し、双葉町に編入される。
1960年(昭和35年)4月1日:請戸地区に編入されていた、中浜地区(旧・中浜村)の一部と両竹地区の一部が、浪江町から分離し、双葉町に編入される