みちのくより愛をこめて 0007

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詩人石川啄木の好物などで作った「啄木定食」をユートランド姫神が再現し、7月より予約販売開始

「啄木定食」完成!日記や証言から食卓再現
 

啄木に思いをはせながら味わった試食会
 
 盛岡市玉山区出身の歌人石川啄木(1886~1912年)が幼少期に家庭で食べた料理を再現した「啄木定食」の提供が26日、同区の温泉施設「ユートランド姫神」で始まる。地元の渋民地区自治会連絡協議会が、啄木の日記や当時の暮らしを知る住民の証言を参考に企画した。

 定食は、わらび煮、クレソンのからしあえ、ニジマス洗い、カボチャとナスの煮物、キュウリの漬物、雑穀ごはん、そばの7品。全て地場産の食材を使い、味付けは同市の料理研究家梅津末子さんが監修した。

 啄木は同区にある寺の住職の長男として生まれた。文学で身を立てようと、旧制盛岡中を中退して上京するまでの16年間、両親と姉2人、妹の6人で食卓を囲んだ。

 試食会が25日にあり、約10人が啄木作品の思い出を語り合いながら味わった。メニュー作りに関わった自治会連絡協の佐々木由勝会長は「啄木文学の源流は玉山での暮らしで育まれたと思う。食を通して啄木の感性や人間性を感じてほしい」と話す。

 予約制で価格は1000円。連絡先はユートランド姫神019(683)3215。

■盛岡市玉山区の渋民地区自治会連絡協議会(佐々木由勝会長)は、同区出身の歌人・詩人石川啄木(1886~1912年)が愛した味を同区の食材で再現した「啄木定食」を考案した。啄木の好物などを集めた9品の定食で、25日に試食会を開いて味わった。

 定食は雑穀ごはん、ニジマスの洗い、カボチャとナスの煮物などで、食材はほとんどが同区産。同区渋民の石川啄木記念館(森義真館長)の助言で、日記などに好物だったという記録が残るそばとカボチャ、コーヒーを加えた。

 試食会を同区下田のユートランド姫神で開き、同地区の自治会長ら14人が参加。啄木の食に思いをはせながら、箸を進めた。

 定食はユートランド姫神で7月中に提供開始予定。


■“啄木定食”発表会

歌人・石川啄木の出身地、盛岡市玉山区で、啄木の好物などで作った「啄木定食」の発表会が行われました。
この定食は、啄木に関するさまざまな地域おこしをしている盛岡市玉山区の渋民地区自治会連絡協議会がおよそ2年かけて開発したもので、25日は玉山区の宿泊施設で「啄木定食」のメニューの発表と試食会が行われました。
 「啄木定食」は、いずれも啄木の好物だったというそばやかぼちゃで作った煮物のほか、クレソンの辛子和えなど、地元産の食材が、たくさん使われているのが特徴です。
 啄木の日記には、上京してまもなく、当時まだ珍しかったコーヒーを一人で自宅で味わったという記述があることから25日の試食会では啄木が飲んだとされるコーヒーを再現したものも特別に用意されました。
 集まった人たちは、「地元産のものがふんだんに使われていておいしいですね」などと話しながら感慨深げに味わっていました。
 渋民地区自治会連絡協議会の佐々木由勝会長は、「啄木定食を通して啄木がもっと親しみやすい存在になってくれれば」と話していました。
この「啄木定食」、味わうには事前の予約が必要で25日から盛岡市玉山区の宿泊施設ユートランド姫神で提供されています。

 

★石川 啄木(いしかわ たくぼく、1886年(明治19年)2月20日 - 1912年(明治45年)4月13日)は、日本の歌人、詩人。本名は石川 一(いしかわ はじめ)。

石川啄木 (いしかわ たくぼく)

Takuboku Ishikawa

誕生
石川 一(いしかわ はじめ)
1886年2月20日
 日本 岩手県南岩手郡日戸村
 (現:盛岡市玉山区)

死没1912年4月13日(満26歳没)
 日本 東京府東京市小石川区

墓地 日本 北海道函館市立待岬

職業歌人詩人評論家

国籍 日本

最終学歴 正則英語学校

活動期間 1903年 - 1912年

ジャンル 短歌

主題 日常生活、孤独感、貧困

文学活動 自然主義文学


代表歌

歌集「一握の砂」より
東海の 小島の磯の 白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる 歌集巻頭の歌。 青森県の大間町大間崎にある石川啄木歌碑に彫られており、この歌の原風景は大間崎で、東海の小島は、沖の灯台の島「弁天島」であると説明されている。
砂山の 砂に腹這い 初恋の いたみを遠く おもひ出づる日 越谷達之助の作曲で、歌曲「初恋」として歌われている
いのちなき 砂のかなしさよ さらさらと 握れば指の あひだより落つ 陸前高田(高田松原)歌碑(東北地方太平洋沖地震津波で流失)
頬につたふ なみだのごはず 一握の砂を示しし人を忘れず 前記歌碑流失後に陸前高田に建立された歌碑[3]
たはむれに 母を背負いて そのあまり 軽き(かろき)に泣きて 三歩あゆまず
はたらけど はたらけど猶 わが生活(くらし) 楽にならざり ぢつと手を見る
友がみな われよりえらく 見ゆる日よ 花を買い来て 妻としたしむ
ふるさとの 訛なつかし 停車場の 人ごみの中に そを聴きにゆく 今昔秀歌百撰82,選者:大喜多俊一(元京都市教育委員会)
かにかくに 渋民村は 恋しかり おもいでの山 おもいでの川
石をもて 追はるがごとく ふるさとを 出でしかなしみ 消ゆる時なし
やわらかに 柳あをめる 北上の 岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに 1922年、渋民に全国で最初に建立された啄木歌碑に刻まれた。
ふるさとの 山に向ひて 言ふことなし ふるさとの山は ありがたきかな