みちのくより愛をこめて 0007

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スパリゾートハワイアンズ新人フラガール 仙道悠莉、室田桃子、緑川涼香、阿部美憂菜ら4名が7月28日デビュー

新人フラガール4名が待望の初舞台
 

■7月28日、第51期生がポリネシアン・グランドステージ「BIG MAHALO!!」にてデビューを果たしました 

今年の4月に入社した新人フラガールたちは、初舞台を踏むまで約3か月間、猛練習を重ねてきました。

デビュー公演には、立ち見も含め約1500名のお客様が観覧。
先輩ダンサーと共に、オープニングの「BIG MAHALO!!」に登場し、フラを披露。
全22曲中、11曲に出演し、堂々のデビューを果たしました!!

ショー終演後には、舞台上で一人一人が紹介され、リーダーのモアナ梨江らからそれぞれに初舞台を記念して花束が贈られました。
また、会場には家族、友人らも多数応援に駆け付け、ステージから降りてきた4名を祝福し、あたたかいムードに包まれました。


 平成27年度 新人フラガール(常磐音楽舞踊学院 第51期生)
 仙道 悠莉(せんどう ゆうり)神奈川県横須賀市出身
 室田 桃子(むろた ももこ)   千葉県柏市出身
 緑川 涼香(みどりかわ すずか)福島県いわき市出身
 阿部 美憂菜(あべ みうな)    福島県いわき市出身


 


 スパリゾートハワイアンズ創業50年の節目の年に
新人フラガール4名が待望の初舞台

  常磐興産株式会社(本社:福島県いわき市、代表取締役社長:井上 直美)が運営するスパリゾートハワイアンズの新人フラガール4名が7月28日(火)、夜のポリネシアンショー「ポリネシアン・グランドステージ」にてデビューを果たしました。

  今年創業50年目を迎えたスパリゾートハワイアンズに入社した新人フラガールは、同施設付属のダンサー養成学校「常磐音楽舞踊学院」開校時の第1期生(昭和40年4月1日入学)から数え、第51期生となります。
 新人フラガールたちは4月の入学後、初舞台を踏むまで3か月間、猛練習を重ねてきました。

  午後8時30分からのデビュー公演には、立ち見も含め約1500名のお客様が観覧。新人フラガール4名は先輩ダンサーに交じり、ショーのオープニングとなる演目「BIG MAHALO!!」に登場しフラを披露。続いて古典的なフラであるカヒコを踊りきり、会場は大きな拍手が湧き上がりました。さらに、サモアやタヒチの民族舞踊なども踊り、全22曲中、11曲に出演し、堂々のデビューを果たしました。

  ショー終演後には、先輩フラガールが見守る中、舞台上で新人フラガール一人一人が紹介され、リーダーのモアナ梨江らからそれぞれに初舞台を記念して花束が贈られました。また、会場には新人の家族や友人らも多数応援に駆け付け、終演後はステージから降りてきた4名を祝福し、会場はたくさんの笑顔と感動の涙に包まれました。

  新人の一人、仙道悠莉(神奈川県横須賀市出身)は、「憧れの舞台に立ち、緊張と感動がこみあげた。お客様のあたたかい拍手は一生忘れられない。堂々と踊れる立派なダンサーになりたい。」また、阿部美憂菜(福島県いわき市出身)は、「厳しいレッスンだったが、練習した通りに笑顔で踊ることができた。自分自身が楽しむ気持ちを忘れず、常に笑顔で踊れるダンサーになりたい。」と感想を話しました。

4名の新人

仙道悠莉、室田桃子、緑川涼香、阿部美憂菜

  現在の新人を除くフラガール(正式名称:スパリゾートハワイアンズ・ダンシングチーム)の人数は35名で、新人4名の加入により総勢39名となりました。新人4名は8月11日(火)から、昼のポリネシアンショー「ポリネシアン・サンライトカーニバル」にも出演を開始します。

 

★スパリゾートハワイアンズ(Spa Resort Hawaiians)は、福島県いわき市常磐に所在する、大型温水プール・温泉・ホテル・ゴルフ場からなる大型レジャー施設である。


店舗概要


所在地
〒972-8326
福島県いわき市常磐藤原町字蕨平50

開業日
1966年(昭和41年)1月15日

施設所有者
常磐興産株式会社
 (旧社名:常磐炭礦株式会社)

営業時間
土日祝日9:00-22:30
平日は開始時間が30分から1時間遅い場合あり

駐車台数
無料3,500台

前身
常磐ハワイアンセンター

施設

温泉を利用した5つのテーマパーク、ホテル、ゴルフ場などで構成される。

温泉施設

打たせ湯、オンドル、ミストサウナ、ボディシャワーなど。
「温泉浴場パレス」 - 裸で入浴する大浴場。960平方メートルの大浴場で12種24浴槽(男女合わせて)の温泉施設。
「スプリングプラザ」 - 幅20メートル、高さ3メートルの滝が印象的な広場。
「江戸情話 与市」 - 浴場面積1,000平米、江戸時代の雰囲気がある世界最大の大露天風呂。ギネス・ワールド・レコーズに認定された。

温泉は常磐湯本温泉が引かれている。なお、常磐湯本温泉の泉源は、常磐炭鉱跡地の鉱底をボーリングして開発されている大規模なもの。一度炭鉱採掘により枯渇したが、当施設の開設にあわせ巨額の費用を投じて再開発された異色の存在である。

宿泊施設
「ホテルハワイアンズ」 - 客室数305室あるメイン宿泊施設
「モノリスタワー」 - 一枚岩をイメージした宿泊施設
「ウイルポート」 - 地中海リゾート風宿泊施設
「やすらぎ亭」 - 和風な宿泊施設


沿革

設立過程

石炭業界は、朝鮮戦争(1950年6月25日 - 1953年7月27日)に伴う1950年代前半の朝鮮特需期には需要増から一時好況となったものの、1950年代後半には労働運動の盛り上がりによるコスト増から低価格な輸入石炭との競合が露呈し、さらに1962年10月の原油輸入自由化によってエネルギー革命が加速して、構造的な不況に陥った。常磐炭鉱(後の常磐興産)での整理解雇は1955年から始まった。

そこで炭鉱労働者やその家族の雇用創出、さらに同社の新たな収入源確保のため、炭鉱以外の新規事業を立ち上げることになり、『日本人が行ってみたい外国ナンバー1』だった「ハワイ」に着目。炭鉱で厄介物扱いされていた地下から湧き出る豊富な常磐湯本の温泉水を利用して室内を暖め、「夢の島ハワイ」をイメージしたリゾート施設「常磐ハワイアンセンター」(じょうばんハワイアンセンター)の建設を計画した。

しかし、社内でも先行きを疑問視する声が強く、炭鉱の最前線にいた社員たちの転身にも根強い反対があり、「10年続けば御の字」という悲観的な見方すらあった。最終的には当時の常磐湯本温泉観光社長(常磐炭鉱副社長兼務、後に社長)の中村豊が押し切る形で事業を進めた。

フラダンス、タヒチアンダンス、ポリネシアンダンスのダンサーは、自前で設立した常磐音楽舞踊学院から人材を供給した。

常磐ハワイアンセンター

1964年に運営子会社として常磐湯本温泉観光株式会社を設立し、1966年にオープン。高度経済成長を遂げる日本に於いて、1964年に海外旅行が自由化されたものの、庶民には高嶺の花という時代であり、開業前の悲観論を尻目にホテルが当時破格の1泊3万円以上ながら東京方面から多くの観光客を集め、大型温水プールを中心にした高級レジャー施設として年間120万人強の入場者を集めた。
年間入場人員は、1968年度には140万人を突破し、1970年度には155万3千人となりピークに達した。

1971年のニクソン・ショックによりブレトン・ウッズ体制が崩壊してスミソニアン体制に移行し、1アメリカ合衆国ドル=360円から308円に切り上げされ、1973年には変動相場制移行とオイルショックによって輸出に依存していた日本の高度経済成長は終焉を迎えた。当センターの入場人員も日本の経済状況に合わせて減少し、1975年度には年間110万人にまで落ち込んだ。

ハワイ州オアフ島出身のアグネス・ラムの人気もあってか、1976年度はやや入場人員が増加したものの、1977年度以降は年間100万人から多くても年間110万人程度で横ばい状態が続いた、この時期、毎週日曜日および祝日にはアイドル歌手や演歌歌手の歌謡ショーが開催されていた。

バブル景気が始まると、1988年度に一気に年間140万人超まで入場人員が増加した。これを機に総事業費50億円をかけてリニューアルを始めることになった。

スパリゾートハワイアンズ
1990年、オープン25周年を機に「常磐ハワイアンセンター」を「スパリゾートハワイアンズ」に改名し、「スプリングパーク」をオープンした。同年度および翌1991年度は年間140万人超の入場人員があったが、バブル崩壊で1992年度には年間120万人台にまで減少した。

一方、1985年のプラザ合意により急速な円高が発生してバブル景気期には海外旅行が普及するが、1994年には円相場が1米ドル=100円の大台を突破して円高が進行し、さらに同年の航空法改正でZONE PEX運賃が導入されて格安航空券が一般化した。すると「本当のハワイに行った方が安い」とまで言われるようになり、同年度以降、年間110万人前後で横ばい状態になった。

1997年、日本一の大露天風呂「江戸情話 与市」をオープンした。すると、同年度に年間120万人を回復し、ここから右肩上がりに入場人員の増加が続くことになる。

これは、前身の常磐ハワイアンセンターから引き継いだ「ハワイ」「南国」というコンセプトに加え、海水浴と比べて日焼けの心配が低い屋内プールや美白の効能があるとされる温泉を備えた当施設が美白を求める女性の需要に合致し、さらに東京や仙台などからの無料バスによる送迎サービスを行うなどの集客努力が功を奏したものと考えられている。
また、2000年にアクアマリンふくしまが開館して人気施設となり、いわき市内で回遊性が生まれたことも影響したと考えられている。2005年度には常磐ハワイアンセンター時代の1970年度以来の年間利用者数150万人を達成した。

2006年9月23日から映画『フラガール』が全国公開されたのを機に、「ワイワイ・オハナ」「アロハタウン」「フラ・ミュージアム」など次々オープンした。すると、翌2007年度には過去最高の年間161万1千人が入場し、かつ、初の年間160万人超を達成した。

東日本大震災および福島県浜通り地震

2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が発生した。いわき市は震度6弱を観測し、施設に大きな被害が出た。 当初早期の再開を目指したが、丁度1ヵ月後の4月11日には福島県浜通り地震が発生。

市内南部の井戸沢断層と塩の平断層に加え、 当館直下に存在した湯の岳断層の3つの断層が同時多発的にズレ動き、東日本大震災時よりも深刻な被害を出した。 これにより、長期間の休業を余儀なくされ、2011年の年間利用者は40万人を切る事になった。

この困難を常磐炭鉱が次々と閉山していた頃の困難になぞらえ、また、震災復興への願いを込め、46年ぶりとなる全国キャラバン「フラガール全国きずなキャラバン」で日本各地で開催することになった。

2012年2月8日、約1年ぶりに全面開業し、その年には年間利用者140万人に回復し、翌年2013年には年間利用者150万7千人となった。


アクセス
常磐自動車道いわき湯本インターチェンジから約3分
東日本旅客鉄道(JR東日本)常磐線湯本駅、泉駅から無料送迎バス、新常磐交通路線バスで約15分
ホテルハワイアンズ、ウイルポート、クレスト館、山海館に宿泊する利用者は、西船橋駅、東京駅、新宿駅、渋谷駅、さいたま新都心駅、横浜駅発着の無料送迎バスが利用できる(予約制)。