みちのくより愛をこめて 0007

東日本大震災の復興・再生を祈願して東北のニュースや浮世の話題等をお届けしています。

日本一のしおがまおでん 「大鍋まつり」2015年2月15日 

日本一のしおがまおでん【大鍋まつり】

蒲鉾のまち 塩竈が誇る

日本一のしおがまおでん「大鍋まつり」

山形芋煮で使われる直径2メートルの大鍋で煮た1000人分のおでんを提供する。

 

2015年 2月15日   
しおがまおでん!鍋まつり  
 

「しおがまおでん!鍋まつり」では、温かいしおがまおでんをお楽しみいただけます。
会場ではとってもお得な”地元塩釜の”かまぼこ詰合せ販売会が開催される他、
手焼き笹かま体験コーナーもございます。


◆開催日/平成27年2月15日(日) 雨天決行
※ただし、強風や荒天の場合、しおがまおでん・手焼き笹かま体験コーナーは中止となります。

◆時間/10:30~14:30
◆場所/マリンゲート塩釜
イベント開催日 2015年02月15日
場所 塩釜市港町1-4-1 マリンゲート塩釜
お問い合わせ(1) 塩釜市青年四団体連絡協議会事務局(塩釜商工会議所内)
TEL:022-367-5111

①しおがまおでん販売 1杯200円

 

②手焼き笹かま体験コーナー

1本100円

 

③かまぼこ詰め合わせ販売

1セット500円

 

④藻塩スイーツフェスティバル

 

お問い合わせ

℡022-367-5111

塩釜市青年四団体連絡協議会

事務局

塩竈市(しおがまし、塩釜市塩竈市(しおがまし、塩釜市)は、宮城県のほぼ中央、太平洋岸(仙台湾)に位置する都市である。日本有数の漁港を中心とする港町、および陸奥国一宮・鹽竈神社門前町としての性格がある。

総人口
54,553人
 (推計人口、2014年12月1日)

宮城県のほぼ中央、仙台市と松島の中間に位置し、仙塩地区の中心の1つとなっている。松島湾と松島丘陵に囲まれており、平地のほとんどは埋立地である。市街地は、埋立地が6割、丘陵地が4割という比率である。この狭い可住地に密集して人が住んでいるため、ロードサイド店出店に適した土地がない。そのため、減反政策で土地に余裕があった利府町多賀城市にロードサイド店が多く進出するようになり、仙塩地区の商業の中心としての地位が奪われ、塩竈市中心部のみならず郊外部の商業も低迷している。

経済
経済状況は厳しく、市のアーケード街ではシャッターを閉めて閉鎖した店舗が目立つ(シャッター商店街)。観光による経済発展の為に設けられた旅客船ターミナル「マリンゲート塩釜」も、テナントが次々と撤退し赤字経営が続いている。

これらの原因は、多賀城市利府町といった周辺地域や郊外に大型ショッピングセンターが次々と誕生した為に集客力が著しく落ちたためとされているが、2007年(平成19年)にはJR本塩釜駅周辺の環境を一斉に整備しており、同年5月、旧国鉄貨物ヤード跡地に「マックスバリュ」を核としたイオンタウン塩釜ショッピングセンターをオープンさせている(同年2月に閉店したジャスコ塩釜店の事実上の後継店)。また、食品スーパーヤマザワが2010年(平成22年)4月3日に中の島地区に出店している。


産業

塩釜港
水産業が盛んで、生マグロの水揚げ、蒲鉾など魚肉練り製品の生産は日本一である。また、1 km²あたりの寿司屋店舗数、人口あたりの寿司屋店舗数も日本一多い

歴史
陸奥国の国府が現在の仙台市太白区(郡山遺跡)から多賀城市に遷った頃、陸奥国府の外港として、今の塩竈市内には国府津(こうづ)がおかれた。
今の香津地区にあたると言われる。香津は内陸にあるが、古代には入り江が二つ、深く入り込み、南側の入り江に国府津があった。北側の入り江の北側に、海に面して“陸奥国の守護神”鹽竈神社(しおがまじんじゃ)があった。港町と鹽竈神社は海を隔てて少々距離があったことになる。

陸奥国府が多賀国府(たがのこう)として七北田川沿いの岩切に移転すると、河口港の湊浜が国府最寄りとなり、塩竈の外港としての意義は薄れたが、以後は鹽竈神社と港湾を中心にして、中世にも町として続いた。町の名は神社からとられて塩竈となった。

戦国時代には留守氏の勢力圏にあり、留守氏が鹽竈神社の神人組織を自らの家臣団にした。伊達氏から養子に入った留守政景の代になって、実質的に伊達氏の領国の中に取り込まれた。

戦国時代の末期、伊達政宗は東北地方(奥羽)の南半分を征服し“奥羽の覇者”となった。1590年に伊達政宗豊臣秀吉に服属したとき、留守氏も政宗を通じて間接的に服したはずだったが、秀吉は留守政景を自分に帰参しない独立大名とみなして取り潰した。政宗が政景に磐井郡黄海に2万石を割いて家臣にしたとき、留守氏の家臣はこれに従って移り住んだ。

1600年の関ヶ原の戦いを経て、1601年に伊達政宗仙台城を居城として、後まで続く仙台藩領の形が定まった。これ以降1871年の廃藩置県まで、現在の塩竈市域を含む宮城郡は仙台藩の一部となった。

江戸時代に塩竈は、仙台市の外港として発展した。しかし、塩竈から仙台まで舟入堀と舟曳堀が引かれて物資が塩竈港を素通りするようになると、衰微しかけた。鹽竈神社を尊崇した伊達綱村は事態を憂えて、1685年に塩竈から課役を免除し、米以外の産物に塩竈への着岸を義務付けた。これによって町は活気を取り戻した。

明治時代のはじめに塩竈は人口約3500人を数えた。1887年(明治20年)に、今の東北本線の前身にあたる日本鉄道は、埠頭と直結する塩竈駅(現在の塩釜駅とは別)まで線路を敷いた。このことで、宮城県、あるいは東北地方における陸海の物流の結節点となり、流通業が大きく発展した。そして、のちにカメイややまやなどの宮城県を代表する企業が生まれた。カメイ会長は、ミヤギテレビのオーナーでもある。仙台港の開港以降、陸海の結節点の地位はそちらに移った。

1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、宮城郡塩竈町が発足。
1938年(昭和13年)9月1日 - 多賀城村・七ヶ浜村の一部が編入される。
1941年(昭和16年)11月23日 - 市制施行(国内187番目、県内3番目)。
1942年(昭和17年)4月1日 - 市章を制定する。
1948年(昭和23年) - 海上保安庁の発足と共に、塩釜港に面して第二管区海上保安本部が設置される。
1949年(昭和24年)12月1日 - 多賀城村牛生地区が編入される。
1950年(昭和25年)4月1日 - 浦戸村を編入。
1962年(昭和37年)に制定された新産業都市建設促進法に基いて、1964年(昭和39年)3月3日に本市を含む仙台湾地区が新産業都市に指定された。すると、同法23条に基いて本市や仙台市を含む8市町村で「仙塩合併」議論がなされた。しかし、議論は不調に終わり、現在も本市は独立を保ち続けている(一方、仙台市は後に泉市等を編入合併して政令指定都市に移行した)。
1996年(平成8年)1月24日 - 宮城郡利府町と境界変更。
2011年(平成23年)3月11日 - 東北地方太平洋沖地震東日本大震災)により被災

●名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

観光
鹽竈神社
志波彦神社
鹽竈神社博物館
御釜神社
籬神社
塩釜漁港(特定第3種漁港)
塩釜仲卸市場

浦戸諸島
長井勝一漫画美術館
塩竈市生涯学習センター(ふれあいエスプ塩竈)内塩釜曲水
野田の玉川(日本六玉川の1つ)
母子石
マリンゲート塩釜

 


祭り
鹽竈神社帆手まつり
塩釜市民まつり
塩竈みなと祭(日本三大船祭の一つとされている)
藻塩焼神事

名産
マグロ(日本一の水揚げ高)
笹かまぼこ、ちくわ、さつまあげ他、水産加工品(日本一の生産量)
お菓子(志ほがま、生どら、等)
日本酒(浦霞、於茂多加 男山、等)

スポーツチーム
塩釜NTFCヴィーゼ - 東北社会人サッカーリーグ1部に所属。Jリーグ加盟を目指すクラブの1つである。