みちのくより愛をこめて 0007

東日本大震災の復興・再生を祈願して東北のニュースや浮世の話題等をお届けしています。

山形県特産の「巨大流しさくらんぼ」 で有名な「第5回日本一さくらんぼ祭り」が6月18日、山形市中心部で開幕

山形県特産のサクランボで県内外の観光客らをもてなす「第5回日本一さくらんぼ祭り」が6月18日、山形市中心部で開幕した。


「巨大流しさくらんぼ」や種飛ばしに歓声

「巨大流しさくらんぼ」や種飛ばしに歓声 山形で日本一さくらんぼ祭り

日本一さくらんぼ祭りが開幕。関係者がサクランボのくす玉を割って開幕を祝う。

 文翔館前で行われたオープニングセレモニーには、ドメニコ・ジョルジ駐日イタリア大使、デハ・エルペッキ公使参事官が出席。吉村美栄子知事が「山形の元気を発信していこう」と呼び掛け、“さくらんぼくす玉”を開いて開幕を宣言。さくらんぼ御輿(みこし)などが練り歩き、会場を盛り上げた。


 本県特産のサクランボで県内外の観光客らをもてなす「第5回日本一さくらんぼ祭り」が18日、山形市中心部で開幕した。目抜き通りを歩行者天国にし、「巨大流しさくらんぼ」をはじめ、伝統芸能やパフォーマンスの披露など、さまざまな催しが繰り広げられる。

目抜き通りを歩行者天国にし、「巨大流しさくらんぼ」をはじめ、伝統芸能やパフォーマンスの披露など、さまざまな催しが繰り広げられた。

 流しそうめんの要領で、サクランボをすくう「巨大流しさくらんぼ」は今年も大人気。長さ30メートルの竹どいの両側に並んだ子どもらから、サクランボが流れてくるたびに歓声が上がった。他にもサクランボの振る舞いや種飛ばしのほか、目抜き通りでは山形のグルメや商品を扱う出店がずらり。モンテディオ山形などプロスポーツ選手らと触れ合うコーナーや、全国豊かな海づくり大会、やまがた技能五輪・アビリンピック大会のPRを兼ねたブースも設けられた。

 主催する同祭り実行委員会は、初日の来場者数を前年比5.6%増の16万9千人と発表した。

 祭りはきょう19日まで。やまぎんホール(県民会館)から山形銀行本店前までが歩行者天国となる。ご当地グルメの販売やステージイベントのほか、初企画の仮装パーティーなどが繰り広げられる。

 

 

 

東北地方と北陸地方が梅雨入りしたと見られると気象庁が6月13日午前に発表 日本国は梅雨模様(北海道を除)

6月13日午前、気象庁は北陸地方と東北地方が梅雨入りしたと見られると発表した。北陸地方は昨年より6日早い梅雨入りで、東北地方は昨年より13日早い梅雨入りとなった。

これで、梅雨入りの発表がない北海道を除いた全ての地域で梅雨入りしたことになる。

 宮城・仙台市内では、13日朝から雨が降り続いている。向こう1週間も前線や低気圧の影響で曇りや雨の日が多くなりそうだ。

梅雨前線が本州南岸に停滞しているため、西日本から北日本の広い範囲で雨が降っており、雨脚の強まっている所もある。北陸や東北地方では、この先、晴れ間の広がる日があるものの、くもりや雨の日が多くなる見通し。


 関東甲信地方では、きょう昼前にかけて雷を伴った激しい雨が降り、大雨となる所があり、九州南部ではあす14日にかけて局地的に落雷や竜巻などの激しい突風のおそれがある。

 

平成28年の梅雨入り                                  更新日:平成28年6月13日 


地方

平成28年  平年差  昨年差  平年  昨年

 

沖縄
5月16日ごろ   7日遅い  4日早い  5月 9日ごろ  5月20日ごろ


奄美
5月16日ごろ  5日遅い  3日早い  5月11日ごろ  5月19日ごろ


九州南部
6月4日ごろ  4日遅い  2日遅い  5月31日ごろ  6月 2日ごろ


九州北部
6月4日ごろ   1日早い   2日遅い   6月 5日ごろ   6月 2日ごろ


四国
6月4日ごろ 1日早い 2日遅い 6月 5日ごろ 6月 2日ごろ


中国
6月4日ごろ   3日早い   2日遅い   6月 7日ごろ   6月 2日ごろ


近畿
6月4日ごろ   3日早い   1日遅い   6月 7日ごろ   6月 3日ごろ


東海
6月4日ごろ   4日早い   1日遅い   6月 8日ごろ   6月 3日ごろ


関東甲信
6月5日ごろ   3日早い   2日遅い   6月 8日ごろ   6月 3日ごろ


北陸
6月13日ごろ   1日遅い   6日早い   6月12日ごろ   6月19日ごろ


東北南部
6月13日ごろ   1日遅い   13日早い   6月12日ごろ   6月26日ごろ


東北北部
6月13日ごろ   1日早い   13日早い   6月14日ごろ   6月26日ごろ

 

福島県葛尾村への避難指示、一部を除き解除 課題残される

 政府は12日、東京電力福島第1原発事故で全域が避難区域の福島県葛尾村への避難指示を、一部を除き解除した。対象は居住制限区域と避難指示解除準備区域の2区域で、居住制限区域の解除は初めて。帰還困難区域はそのまま残る。

 福島県内では来年3月末までに葛尾村以外の4市町村でも解除の動きが具体化しており、順次進む見通し。

 葛尾村では、生活用品や食料品を買える店の再開が間に合わず、常駐の医師がいないなど生活インフラが整っていないことから、すぐに住民の帰還が進むかは不透明だ。


東京電力福島第一原発の事故で、福島県葛尾村の全域に出されていた避難指示が、一部を除いて12日午前0時に解除されました。原発事故に伴う避難指示の解除は4例目で、役場とすべての住民が避難した自治体での解除は、去年9月の楢葉町に続いて2例目です。

今後、帰還困難区域を除くすべての避難指示を来年3月までに相次いで解除し、避難を強いられている約7万人のうち約4万6千人が帰還できるようになる。

 解除の対象は、葛尾村の451世帯1466人(1日現在)のうち、418世帯1347人。除染などで放射線量が問題ないレベルまで下がったとして、帰還困難区域に次いで放射線量が高い場所が指定される「居住制限区域」も避難指示を解除した。同区域が解除されたのは初めて。

 だが、帰還に備えて自宅に泊まる準備宿泊の申し込みは対象の約1割、53世帯126人にとどまっていた。避難先と自宅を行き来する人も多く、避難先を引き払って帰還する人は少ないとみられる。医療機関や日用品や食品を扱う商店は再開しておらず、水田の半分ほどは除染廃棄物の仮置き場になっており、搬出のめどは立っていない。

 

福島県では、原発事故から5年3か月となる今も9つの市町村に避難指示が出され、9万人余りが県内や県外で避難生活を続けています。

このうち全域に避難指示が出され、すべての住民1400人余りが避難していた葛尾村について、政府は国による除染が終わるなど、生活環境がおおむね整ったとして、まだ比較的放射線量が高い一部の「帰還困難区域」を除く大部分の地域で、12日午前0時に避難指示を解除しました。
原発事故に伴う避難指示の解除は、田村市都路地区と川内村東部の一部地域、それに去年9月の楢葉町に続いて、4例目です。役場とすべての住民が避難した自治体での解除は、楢葉町に続いて2例目です。
村が去年10月から11月にかけて行った調査では、回答した世帯のうち48%が、避難指示の解除後には世帯の全員や一部が「村に戻りたい」と答えています。村は、放射線の不安の解消のほか、医療や買い物などの生活環境の整備を進め、住民が安心して村に戻れる取り組みに力を入れることにしています。

葛尾村では12日朝、時折、村の中を車が走る様子や、住民が自宅で庭の手入れをする様子などが見られました。
葛尾村中心部の落合地区に住む松本秀俊さん(66)は「避難指示の解除で、希望する人が村に戻ることができるようになるので、一気に復興が進んでくれることを期待しています。ただ、放射線量が高く、避難指示が解除されない地域が一部残り、村のすべての解除にはなっていないのが残念です」と話していました。


福島県内の避難指示解除の現状は

葛尾村の避難指示解除は、役場とすべての住民が避難した自治体としては、去年9月の楢葉町に続いて2例目ですが、医療や買い物など生活環境をどう整備して住民の帰還を進めるかが今後の課題となります。

東京電力福島第一原子力発電所の事故で、福島県内では多いときで11の自治体に避難指示が出されていましたが、おととし4月に田村市都路地区で初めて解除されたのに続き、おととし10月には川内村の一部の地区で解除されました。さらに、去年9月には人口7300人余りの楢葉町で、役場とすべての住民が避難していた自治体としては初めて解除されました。
人口1400人余りの葛尾村の解除は、すべての住民が避難した自治体としては2例目です。葛尾村は、住民の半数余りが仮の役場を置いていた三春町に避難していて、村は仮設住宅の部屋を住んでいた地区ごとにまとめるなど、住民のつながりを維持しようと取り組んできました。
村が去年10月から11月にかけて行ったアンケートでは、「村に戻りたい」と答えた世帯が全体の48%でした。一方で、「戻らない」や「判断できない」と答えた世帯の多くが、医療環境や放射線量などへの不安を理由に挙げています。
山間部にある葛尾村には、解除の時点で医師はおらず、買い物ができる商店も再開していないなど、住民の生活環境の整備が求められます。
政府は、放射線量が比較的高い「帰還困難区域」を除いて、避難指示を来年3月までに解除するとした指針を閣議決定していて、来月には南相馬市で解除が予定されています。
避難指示の解除は進んでいますが、福島県では今も9万人余りが避難を続けていて、震災と原発事故から5年3か月がたつ今も、住民の生活の再建には多くの課題が残されています。


★葛尾村(かつらおむら)は、福島県浜通りにある山村。双葉郡に属する。

2011年3月11日に発生した福島第一原子力発電所事故の影響により、村内全域が警戒区域又は計画的避難区域に指定されており[1]、全村民が村外に避難しているが、(2013年3月22日に避難指示解除準備区域・居住制限区域・帰還困難区域に再編された)帰還困難区域を除き2016年6月12日をメドに避難指示を解除する予定。

仮役場を会津坂下町に設置していたが[2]、6月15日から三春町に移転した。
村内の各住宅にはテレビ電話などのブロードバンドインターネット接続回線が引かれ、医師の往診などがテレビ電話で行われている。

2010年3月、村主体で情報通信の整備が完了し、村内全世帯に地上デジタルテレビ放送視聴機器が設置され、また希望世帯は超高速インターネットが利用可能となった。

この設備は難視聴地域である葛尾村の環境を鑑みて、村が村内全世帯に光ケーブルを敷設、それを利用して情報送信、地上デジタル波再送信を行い、市街地と格差が無い情報通信を行うものである。また、村内の電話は無料で、希望者は光電話加入により、従前の電話料金より安くサービスを受けられるようになった。
過疎が進み、現在の高齢者率は31%を超えている。村内にはこれといった産業がなく、人口流出が加速している。

過去、村内における交通死亡事故ゼロ13,261日を達成している。これは、記録が残っている単独の自治体としては国内最長である。


面積84.37 km²

総人口18人 (推計人口、2016年2月1日)

人口密度0.21人/km²

隣接自治体 田村市、二本松市、双葉郡浪江町

村の木 赤松

村の花 ツツジ

村の鳥キジ

地理 阿武隈高地の中にある村。標高500メートル以上の比較的高地である。

自然
山:日山、竜子山、中ノ森山、手倉山
河川:葛尾川

隣接する市町村
田村市
二本松市
双葉郡浪江町 

 

南相馬市のJR常磐線小高-原ノ町駅間の運行再開に向けた試運転が9日、7月12日の運転再開に合わせて両駅間で行われる

東京電力福島第一原発事故などの影響で不通となっている南相馬市のJR常磐線小高-原ノ町駅間の運行再開に向けた試運転は9日、両駅間で行われた。東日本大震災後、約5年ぶりに列車が小高駅に乗り入れた。市内の一部に出ている避難指示が解除される7月12日に合わせて運行を始める。


 2両編成の列車が9・4キロの両駅間を約1時間かけて走り、3往復して線路の状態や踏切の作動状況などを点検した。10日も3往復する。
 JR東日本によると、震災が3月に起きた平成22年度に小高駅で乗車したのは1日平均811人だった。

 JR東日本は昨年4月から、雑草に覆われた線路周辺の草刈りや除染のためのバラスト(砕石)の入れ替え、レールの交換などを行ってきた。 原発事故前には1万人以上が暮らした小高区は、帰還に向けてわずかな住民が準備宿泊を続けている。

 

 

■東京電力福島第一原発の事故で福島県南相馬市に出されている避難指示が来月12日に解除されるのに合わせて、JR常磐線の一部の区間で列車の運転が再開されることになり、9日から試運転が始まりました。


試運転が始まったのは、南相馬市のJR常磐線の小高駅から原ノ町駅までの9.4キロの区間です。
小高駅の周辺で原発事故による避難指示が出されたため不通となっていましたが、来月12日に避難指示が解除されることになり、JRは当日から列車の運転を再開させることにしています。
9日の試運転では、JRの担当者が列車に乗り込み、午前10時半に原ノ町駅を出発しました。
試運転は9日と10日に行われ、担当者が再開予定の区間を往復しながら車内の放射線量を測定するほか、踏切や信号設備などが正常に作動するか確認することにしています。
来月からの運転再開で、JR常磐線の不通区間は、宮城県の浜吉田駅と相馬市の相馬駅の間、それに南相馬市の小高駅と楢葉町の竜田駅の間となり、JRは、平成31年度末までにこれらの区間を含めた全線での運転再開を目指すことにしています。

 

★常磐線(じょうばんせん)は、東京都荒川区の日暮里駅から千葉県北西部、茨城県、福島県の太平洋側を経由して宮城県岩沼市の岩沼駅までを結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(幹線)である。

 
列車運行上の常磐線は、上野東京ライン(東海道本線・東北本線)品川駅 - 東京駅 - 上野駅 - 日暮里駅間および東北本線岩沼駅 - 仙台駅間を含めた、東京都港区の品川駅から宮城県仙台市青葉区の仙台駅までである[2]。本記事では品川駅 - 東京駅間について、常磐線内に方向に合わせて品川行きを「上り」、品川発を「下り」と記述する。
 
また、通常運転系統上の「常磐線」は、中距離列車や特急列車などの列車系統のみを指し、取手駅以南の複々線区間を運転する電車系統の快速電車・各駅停車とは区別される。本記事での運転系統としての記述は主に前者について取り上げる。
 
2011年に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)による被害と、それに起因した福島第一原子力発電所事故による帰還困難区域(事故発生当初は警戒区域)設定のため、竜田駅 - 原ノ町駅間および相馬駅 - 浜吉田駅間が運行休止となっている。相馬駅 - 浜吉田駅間では2016年12月まで[3]の運行再開を目処に復旧工事が行われている

「座敷わらしのいる宿」として知られていた旅館「緑風荘」が5月14日、営業を再開

 「座敷わらしのいる宿」として知られ、2009年に火災で全焼した岩手県二戸市の旅館「緑風荘」が5月14日、営業を再開した。寄付金も活用して再建し、初日は火災当日の宿泊客を招待。約6年半ぶりの開業を祝った。


 緑風荘は江戸時代に建てられた伝統的な「南部曲がり家」を利用した旅館。座敷わらしの目撃情報が多く寄せられ、全国から宿泊客が訪れたが、09年10月に母屋が全焼、宿の看板と座敷わらしを祭る神社だけが残った。

 

 再建のため自己資金とファンの寄付金に加え、投資を募るファンドを創設。約3億円かけて木造の建物を完成させた。


★緑風荘
緑風荘(りょくふうそう)は、岩手県二戸市金田一の温泉郷にある旅館。及び通信販売「有限会社 えんじゅ」、「株式会社 座敷わらし」を運営している。その他、ファンクラブ真白乃会事務局、亀麿神社(わらし神社)管理・維持。

宿泊のほか日帰り入浴も可能。低張性弱アルカリ低温泉。単純温泉(ラジウム温泉)。300年以上前、南部藩の湯治場だったことから「侍の湯」と呼ばれていた。

●概要

日本を代表する座敷わらしの出没する宿として地位を保ち続けている。

座敷わらしの名前は亀麿(かめまろ)と呼ばれ、宿では物の怪としてではなく先祖の守り神(精霊)として同施設内に亀麿神社(わらし神社)をつくり祀っている。ご神体は水晶で例大祭は毎年9月28日に行われる。

館内は芸能人との記念写真やゆかりの品、ぬいぐるみであふれている。今日まで多くの著名人が宿泊し、昨今でも幅広いメディアで取り上げられている。

本館と別館で構成され本館母屋の奥座敷「槐(えんじゅ)の間」に座敷わらしの目撃例が多く文化人・著名人が多く宿泊することで有名だが、「槐の間」は人気が高く、1週間の予約期間、一気に3年間の予約を電話のみで受け付けるため予約は大変困難だった。 毎回、受付開始数日間は電話が殺到するため回線障害が発生していた。

新館(別館)は予約なしで宿泊できることが多い。「槐の間」だけでなく館内いたるところでの目撃例が多く、新館の部屋にも姿を見せることもある。座敷わらしのほうから人を選ぶといわれ、必ずしも「槐の間」に出現するわけではない。

宿泊以外に「槐の間」見学も可能で、全国からお供えの品などを奉納する方も多い。しかし「槐の間」の宿泊客がチェックインが早くアウトも遅いといった場合、容易に見学はできず、あくまでも「槐の間」宿泊客が食事などで不在の際に公開されていた。巨大なぬいぐるみを奉納する非常識な方もいたためぬいぐるみの奉納は禁止する方針に転換した。

なお、2009年(平成21年)10月4日に起きた火事で、座敷わらしを祀る中庭の亀麿神社以外が全焼。従業員・宿泊客は全員無事だったが、営業停止状態となった。2016年5月14日より営業を再開。

●緑風荘における座敷わらし伝承

1300年(南北朝時代)、南朝の武将が[8]北朝(足利尊氏)方との戦いに敗れ落武者となり大和国(現・奈良県)から武蔵国五日市(現・東京都あきる野市)に落ち延びこの地名を苗字とした。しかし、この地は関東の勢力範囲内でそこから更に陸奥国(金田一)に落ち延びる。この時6歳と4歳の男の子がおり、金田一までの旅路で兄の亀麿(かめまろ)は病にかかり死去する。死の床で「末代まで家を守り続ける」と言い息を引き取った。

この亀麿の霊が奥座敷「槐の間」に棲みつき「家の守り神」となり、時々客人に姿を見せたり悪戯をするようになったと言い伝えられている。この部屋に泊まり座敷わらしに出会えると驚くほどの幸運に恵まれ男は出世し、女は玉の輿にのると一般的に言われている。

●沿革
1600年代頃 - 五日市家は南部藩とのつながりが強く、長い間庄屋として村の代表的な存在で農業で生計を立てていた。
1910年(明治43年) - 日本ではじめてオカルトブームとなる。民間伝承をまとめた柳田國男の『遠野物語』が発表された。これをきっかけに座敷わらしの存在が全国に知られるようになる。五日市家の座敷わらしも注目されたが、地元だけに限られた。
1940年代 - 村の名主の曲り家に座敷わらしがいると当時から噂されており第二次世界大戦に徴兵された多くの若者が無事帰還を願い訪れる。
1947年(昭和22年) - 地元の大地主で大勢の下働きを雇い長らく農業を営んでいたが、農地改革により農地を手放す。
1950年(昭和25年) - 五日市家により創業。
1955年(昭和30年) - 五日市家により「緑風荘」開業。
1971年(昭和46年) - 作家の三浦哲郎が緑風荘の座敷わらしをテーマに児童小説『ユタとふしぎな仲間たち』を発表。のちに浅利慶太の演出で劇団四季が演劇に。1970年代のオカルトブームも重なり、緑風荘の名は一躍全国に知られるようになる。
1980年代 「怪奇現象」・「心霊現象」・「超常現象」をテーマとしたテレビ番組や雑誌で度々取り上げられる。1980年代は心霊写真、心霊映像のブームであり緑風荘の怪奇現象は大きく取り上げられていた。
この頃から芸能人の宿泊ラッシュとなる。

2002年(平成14年) - ウェブサイト開設。
2008年(平成20年) - 帰属団体により亀麿会設立。ネットアクセス増加に伴いサイトリニューアル。不思議体験を自由に書き込み交流できる掲示板など大幅に改編される。
2009年(平成21年) 日本の文化や伝統、芸能、学校行事を世界に紹介している外務省キッズWebJapanにて海外向けに座敷わらしが出る宿として紹介される。
10月4日午後8時半頃に発生した火災により、中庭の座敷わらしを祀った祠を残して全焼。

2010年(平成22年) 焼け跡の源泉から足湯を建設し無料開放する。
再建の募金・寄付が1千万円近く集まる。(劇団四季も2014年「ユタと不思議な仲間たち」を上演したのが縁で100万円の寄付をしている)
新緑風荘再建計画がまとまる。

2011年(平成23年) - 株式会社 座敷わらしを設立(社名変更)。座敷わらしファンクラブのネーミングを変えて(緑風荘わらしファミリー真白乃会)を新たに発足。
2012年(平成24年) - 真白乃会と考え方の違いから帰属団体の亀麿会が解散分離。一部の人達により私設的な有料会員制コミュニティーとして活動を継続する。
2013年(平成25年) - 3年前に発表されていた新緑風荘再建計画を資金不足から白紙撤回。
2014年(平成26年) - ミュージックセキュリティーズにより少額投資ファンドとして個人投資家と地方銀行から不足額を調達。
2015年(平成27年) - 新築費用を含む総事業費約3億円の調達が遅延していたが9/28地鎮祭。10月に着工。
2016年(平成28年) - 5月に営業再開。4月1日からネット予約限定で受付け開始(営業強化方針のため個人向けファンドを3口以上購入した場合のみ優先予約)。

●幸福に恵まれた代表的人物とエピソード

原敬(第19代内閣総理大臣) - 東北遊説の際に宿泊。その後、総理大臣就任。
米内光政(第37代内閣総理大臣) - 宿泊後に総理大臣就任。海軍大臣や聯合艦隊司令長官を歴任。
福田赳夫(第67代内閣総理大臣) - 総理大臣に就任。福田康夫(第91代)も訪れたと言われている。
田子一民(第33代衆議院議長) - 座敷わらしに出会い政治家として出世。
三船久蔵(武道家) -「槐の間」で座敷わらしと組み合いあしらわれたという。
本田宗一郎(本田技研工業創業者) - バイクでツーリング中に宿泊。その後事業拡大。
松下幸之助(パナソニック創業者) - 事業を世界規模に展開。
稲盛和夫(実業家) - 宿泊後に事業建て直しに成功。
金田一京助(作家) - 学者・作家として出世する。緑風荘に度々訪れ五日市家と交流があった。
三浦哲郎(作家) - 緑風荘で感じたインスピレーションによりヒット作品を世に出す。
遠藤周作(作家)- 館内で座敷わらしに遭遇し、その出会いを作品に描いている。
水木しげる(漫画家)- 「槐の間」での座敷わらしとの出会いを雑誌で詳細に述べている。
つのだじろう(心霊研究家)- 緑風荘に奉納した座敷わらしの絵に描かれた眼球がTV放映中に動いたことで話題になる。
水戸泉政人(元大相撲力士)- 「槐の間」宿泊後、1992年(平成4年)7月場所幕内優勝。
風見しんご (タレント) - ブレイクダンスを取り入れた歌が大ヒット当時の流行となった。
ゆず(音楽グループ) - ストリートミュージシャンからメジャーデビュー。
岩手県立福岡高等学校女子ソフトボール部 - 槐の間で優勝祈願。全国優勝を果たす。
五日市栄一(第25代緑風荘当主)- 座敷わらしに出会い第二次世界大戦の徴兵を逃れる。

よくある不思議体験

槐の間に限らず、客室を撮影するとオーブが写ることが多いとされる。
客室に奉納されている玩具(槐の間に限らない)のうち、発条で動くものは、誰も触っていない(発条を巻いていない)にも関わらず、夜中に勝手に動くことがあるとされる。
宿泊客が睡眠中金縛りにあう。髪を引っ張るなどいたずらをされる。深夜、廊下や枕元で走り回る足音が聞こえる。布団の上に乗ってくる。

 

 

羽生結弦選手が「東北運動記者会スポーツ大賞」に選ばれる3年連続、通算4度目

羽生結弦選手が「東北運動記者会スポーツ大賞」に選ばれる3年連続、通算4度目

東北運動記者会(新聞・通信社20社、放送18社加盟)は5月1日付で「東北運動記者会スポーツ大賞」にフィギュアスケートの羽生結弦選手(ANA、宮城・東北高出)を選出した。羽生選手は同賞初の3年連続受賞で、通算4度目も最多となった。
 羽生選手は昨年11月のNHK杯で世界初の300点超えとなる322・40点をマークして優勝し、12月のグランプリファイナルではさらに更新する330・43点で男子初の3連覇、全日本選手権でも4連覇を達成した。
 同賞は前年度に世界選手権や日本選手権などで活躍した東北ゆかりのアマチュア選手・チームから、加盟38社の投票を基に選出する。


★羽生 結弦
羽生 結弦(はにゅう ゆづる、1994年〈平成6年〉12月7日[5][8] - )は、宮城県仙台市泉区出身の日本人フィギュアスケート選手(男子シングル)。愛称は「ゆづ」。全日本空輸 (ANA) 所属。

主要な戦績として、2014年ソチオリンピック男子シングル優勝。2014年世界選手権優勝。グランプリファイナル3連覇(2013年-2015年)。全日本選手権4連覇(2012年-2015年)。

男子シングル競技における、ショートプログラム(110.95点)、フリースケーティング(219.48点)、トータルスコア(330.43点)の現世界歴代最高得点記録保持者。現世界ランキング1位。

世界記録は2012年から10回更新しており、ISUジャッジングシステムのもとに開催された国際大会において、史上初めてショートプログラムで100点、フリースケーティングで200点、トータルスコアで300点超えを達成した男子選手である。

生年月日: 1994年12月7日(21歳)
出生地: 宮城県の旗 宮城県仙台市泉区
身長: 171cm
体重: 53 kg
コーチ: ブライアン・オーサー(2012-)
トレイシー・ウィルソン
元コーチ: 阿部奈々美(-2012)
都築章一郎、松田達義、関徳武
武者愛
山田真実
振付師: ジェフリー・バトル
デヴィッド・ウィルソン
シェイ=リーン・ボーン
宮本賢二
元振付師: 関徳武
阿部奈々美
ナタリア・ベステミアノワ
イゴール・ボブリン
カート・ブラウニング
所属クラブ: 全日本空輸(ANA)
ISU パーソナルベストスコア
トータルスコア: 330.43 2015 GP ファイナル
ショートプログラム: 110.95 2015 GP ファイナル
フリースケーティング: 219.48 2015 GP ファイナル

● 獲得メダル


フィギュアスケート


オリンピック
金 2014 ソチ 男子シングル

世界選手権

銅 2012 ニース 男子シングル
金 2014 さいたま 男子シングル
銀 2015 上海 男子シングル
銀 2016 ボストン 男子シングル

四大陸選手権

銀 2011 台北 男子シングル
銀 2013 大阪 男子シングル

グランプリファイナル

銀 2012 ソチ 男子シングル
金 2013 福岡 男子シングル
金 2014 バルセロナ 男子シングル
金 2015 バルセロナ 男子シングル

世界ジュニア選手権

金 2010 ハーグ 男子シングル

ジュニアグランプリファイナル

金 2009 東京 男子シングル


人物

仙台市立七北田小学校、仙台市立七北田中学校、東北高等学校を経て、早稲田大学人間科学部人間情報科学科通信教育課程(eスクール)在学中。

名前は「弓の弦を結ぶように凛とした生き方をして欲しい」と父が命名した。

演技前に必ず行う胸の前で十字を切るような動作は、実際には「士」の形を描いており、「ジャンプの回転軸と両肩を平行に保つ意識を確認するためのおまじない」である。2015年11月以降から、両手で天を仰ぐような動作を最後に加えるようになった。

●受賞・栄誉等

日本政府
紫綬褒章(2014年)

日本オリンピック委員会
JOCスポーツ賞 新人賞(2009年)、最優秀賞(2013年)、特別功労賞(2015年)

日本スケート連盟
JOC杯(最優秀選手賞)(2013年、2014年)

マスコミ
東京運動記者クラブ:特別賞(2012年)、スケーター・オブ・ザ・イヤー(2014年、2015年])
東北運動記者会:スポーツ大賞(2011年、2013年、2014年、2015年)
朝日新聞社:「朝日スポーツ賞」(2014年)
読売新聞社:第64回「日本スポーツ賞」グランプリ(2014年)
毎日新聞社:第22回「毎日スポーツ人賞」グランプリ(2014年)
Sports Graphic Number:第33回「ナンバーMVP賞」(2014年)
テレビ朝日:第49回、第50回「ビッグスポーツ賞」(2014年、2015年)
河北新報社:第64回「河北文化賞」(2014年)
中日新聞社:第29回「中日体育賞」(2015年)

一般財団法人
上月財団:「上月スポーツ賞」大賞(2014年)

自治体
宮城県「県民栄誉賞」(2014年)
宮城県議会「議長特別表彰」(2014年)
仙台市「賛辞の楯」(2014年)
仙台市「スポーツ大賞」(2009年、2011年、2012年、2013年)

世界記録
ギネスワールドレコーズ社:男子フィギュアスケート ショートプログラム最高得点(2014年)

宮古市赤前の堀内漁港で11日、宮古湾特産の大粒殻付きマガキ「花見かき」が初水揚

宮古市赤前の堀内漁港で11日、宮古湾特産の大粒殻付きマガキ「花見かき」が初水揚げされた。産卵期に向けて栄養をたっぷり蓄えた濃厚な味わいが、宮古の味覚に春を告げた。

 花見かきは冬に水揚げされたカキから基準を超える大きさの物を選び、プランクトンの豊富な春の湾内に戻し2カ月以上育てる。殻の大きさが縦13センチ、横6センチ、厚さ3センチ以上の条件を満たすのは全体の2~3%。

 宮古漁協津軽石牡蠣(かき)養殖組合の山根幸伸さん(59)が海から引き揚げた花見かきの殻を開けると、ぽってりとした実が詰まっていた。通常の3倍以上ある。
 山根さんは「実入りも味も東日本大震災以降で最高。花見の季節に食べに来てほしい」と話した。
 2006年に本格出荷を始め、震災後は13年に再開した。ことしは約9000個を送る予定。市内の飲食店で5月上旬まで味わえる。24日午前10時から宮古漁協の産直施設「うみのミルク」で600個を販売する。


★宮古市(みやこし)は、岩手県の三陸海岸に面する市。本州最東端の地である魹ヶ崎を擁する。
京の「都」と同訓異字の「宮古」を天皇から賜ったとする、和泉式部や源義経に関連する伝説が存在する。

面積1,259.15km²

総人口56,436人 (推計人口、2016年2月1日)

人口密度44.8人/km²

隣接自治体盛岡市、花巻市、遠野市、下閉伊郡岩泉町、山田町、上閉伊郡大槌町

市の木アカマツ

市の花ハマギク

市の鳥 市の魚 ウミネコサケ


●概要

三陸海岸を代表する都市の一つであり、「本州最東端のまち」を掲げ、三陸沖の豊かな漁業資源と、三陸復興国立公園・浄土ヶ浜や早池峰国定公園を代表とする森・川・海の豊かな自然環境を背景に、漁業と観光に力を入れている。

1941年に市制を敷き、2005年に田老町と新里村を編入し、2010年の川井村の編入によって県内一の面積を有する自治体となった。市域は山間部の川井・新里地区と、北部の田老地区、旧・宮古市部に大きく分けられる。人口は岩手県沿岸部の市町村の中では最も多い。

県庁所在地である盛岡市からは北上山地を隔てて約100km離れている為、盛岡を初めとする北上盆地とは独立した地域圏を形成している。

2011年3月11日に発生した東日本大震災では大きな被害を受けた。市内中心部の被害はある程度抑えられたものの、田老地区を始め沿岸の集落は壊滅的被害となった。

2011年(平成23年)3月11日午後2時46分:東北地方太平洋沖地震が発生し、宮古市全域が震度5(茂市地区で震度5強、川井地区・田老地区・五月町地区・長沢地区・鍬ヶ崎地区・門馬田代地区で震度5弱を観測)で被災。さらに、この地震に伴って発生した大津波にも襲われ、沿岸部は壊滅的被害を負った(東日本大震災)。 津波の高さは地震発生から約40分後の午後3時26分頃に襲来した第2波が最大で、8.5m以上(気象庁発表)


●名所・旧跡・観光施設、等

景勝

浄土ヶ浜
三陸復興国立公園の中心的な名勝(1955年指定)。岩手県指定名勝(第1号)(1954年指定)であり、日本の白砂青松100選(1987年)、および、かおり風景100選(環境省、2001年)の選定地 でもある。
魹ヶ崎:本州最東端の地。
本州最東端の碑
魹ヶ埼灯台:本州最東端の灯台。

臼木山
ローソク岩
潮吹穴
日出島
重茂の大ケヤキ

森の巨人たち百選に「『森林浴の森』の木」名義で選定されている。
三王岩
真崎海岸
早池峰山:日本百名山に選定されている。
区界高原

旧跡
崎山貝塚:縄文時代の貝塚。
横山八幡宮:
黒森神社

宮古港海戦記念碑
明治2年3月25日(1869年5月6日)に起こった宮古湾海戦の記念碑。

大津浪記念碑
1933年(昭和8年)の昭和三陸地震による津波の後で建てられた災害記念碑で、「此処より下に家を建てるな」との先人訓が東日本大震災の津波から現地・姉吉地区の住民の命を守った。
田鎖城

●観光施設・多目的施設
土産物 宮古魚菜市場

海水浴場 浄土ヶ浜海水浴場:三陸復興国立公園内の景勝地「浄土ヶ浜」内にある海水浴場で、2001年(平成13年)に日本の水浴場88選(環境省)、2006年(平成18年)には「浄土ヶ浜の潮のかおり」名義で快水浴場百選(環境省)の選定地となった[31][10]。
女遊戸海水浴場
真崎海岸海水浴場
蛸の浜海水浴場
藤の川海水浴場
大須賀海水浴場

展示館など 岩手県立水産科学館
宮古市北上山地民俗資料館:
薬師塗漆工芸館
西塔幸子記念館
寄生木展示室(山口公民館)

みなとオアシスみやこ
シートピアなあど

浄土ヶ浜ビジターセンター
浄土ヶ浜マリンハウス
浄土ヶ浜レストハウス

他の名所・施設
がっかり島:珍地名で知られる無人島。
ラサの煙突

ラサ工業宮古工場構内にある、日本で2番目に高い煙突(高さ160m)。小山田地区にある標高90mの山上に建ち、煙突本体と併せて250mの高さを誇る。1939年(昭和14年)6月の操業開始以来、長らく宮古のランドマークである。
田老の防潮堤

田老地区の沖合いに建設された防潮堤。
田老の防潮堤は時代を追って巨大かつ堅牢なものとなり、高さ10m・長さ2.4kmにも及ぶに至り、中国の万里の長城になぞらえて「田老万里の長城」「田老の万里の長城」などと雅称されるようになった。海側と陸側の2重構造になっている、日本最大規模の防潮堤であったが、2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災では、地震直後に20m級の津波が押し寄せたため、海側に面した堤防の半分が崩壊した。

ラサ工業田老鉱山跡
現在は明星大学の所有地である。

●祭り
宮古鮭まつり
浄土ケ浜まつり
宮古夏祭り
宮古秋祭り
川井村郷土芸能祭

●伝統芸能
黒森神楽:国の重要無形民俗文化財(2006年3月15日指定)[32][33]。
小沢獅子踊:市指定無形民俗文化財。

●宮古を舞台とした作品

映画
大いなる旅路
喜びも悲しみも幾歳月:ロケ地。1957年(昭和32年)製。
トラック野郎・一番星北へ帰る:1978年(昭和53年)、東映。宮古港、浄土ヶ浜、国道106号。
あの夏、タイムマシーンにのって:宮古市民参加自主制作映画。2005年(平成17年)製。