みちのくより愛をこめて 0007

東日本大震災の復興・再生を祈願して東北のニュースや浮世の話題等をお届けしています。

9/5日より楢葉町から福島県オリジナル品種「天のつぶ」出荷始まる

原発事故による避難指示解除を受け、6年ぶりにコメの作付けを本格再開した楢葉町で5日、本年産米の放射性物質濃度を調べる全量全袋検査が始まった。

 町内で先月収穫された福島県オリジナル品種「天のつぶ」104袋(1袋30キロ入り)が検査の結果、全て食品の基準値(1キロ当たり100ベクレル)を下回り、出荷が決まった。

ふるさと納税者への返礼品や、県産品の販促イベントで活用されるほか、JAなどに販売される。

 町内では原発事故後3年間の試験栽培、実証栽培を経て、今年から販売目的の作付けが再開された。

 全袋検査を受けたコメは同町北田地区の約70アールでYさん(74)が生産。全袋検査前の等級検査で1等米の評価を受け「営農再開への第一歩を踏み出すことができてうれしい。1等米だったので、手応えを感じている」とコメントした。

 JA福島さくら楢葉支店で行われた全袋検査では、コメ袋がベルトコンベヤー式測定機器を通ると、基準値以下を示す「PASS」の文字が画面に表示された。

 立ち会った松本幸英町長は「黄金色の田んぼが戻ってきたことを、町民全体が喜んでいる。楢葉のコメの安全性とおいしさのPRに努め、作付面積を段階的に拡大したい」と強調した。


★楢葉町(ならはまち)は、福島県浜通りにある町。双葉郡に属する。
総人口
976人
(推計人口、2016年6月1日)
人口密度
9.42人/km²
隣接自治体
いわき市、
双葉郡広野町、富岡町、川内村
町の木
すぎ
町の花
やまゆり
町の鳥
うぐいす

●歴史
1971年(昭和46年)に東京電力福島第2原子力発電所の建設基地に決まり、交付金事業によってエネルギー都市として歩みはじめる。
2011年(平成23年)3月11日 - 東日本大震災が発生。楢葉町で震度6強を観測。地震に伴う津波による福島第一原子力発電所事故の影響で町の大部分が半径20km以内の警戒区域に指定され、区域内の立ち入りが出来なくなる。役場機能は会津美里町・いわき市に移転。
2012年(平成24年)8月10日 - 警戒区域が避難指示解除準備区域に再編される。
2014年(平成26年)6月2日 - 業務の一部を町内の町役場で再開。
2015年(平成27年)
4月6日 - 準備宿泊を開始。
9月5日 - 避難指示解除

●名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
Jヴィレッジ - 日本のサッカー・ナショナルトレーニングセンター。
マミーすいとん
楢葉町コミュニティセンター
道の駅ならは
ならは羽黒山温泉
天神岬温泉

★「天のつぶ」は、福島県が15年の歳月をかけて開発した品種で、穂が出るときに天に向かってまっすぐ伸びる稲の力強さと、天の恵みを受けて豊かに実る一粒一粒のお米をイメージして命名されました。
粒ぞろいが良く、光沢があり、しっかりとした食感が楽しめる「天のつぶ」をぜひご賞味ください。

「天のつぶ」の特徴
●「コシヒカリ」や「ひとめぼれ」に匹敵する美味しさ
●食べ応えのあるしっかりとした食感
●炊きあがりの香りが良く、光沢があり、粒がそろった美しい米

 

 

山都新そばまつりが15、16の両日喜多方市山都町にて開催

 

 山都新そばまつりは15、16の両日、喜多方市山都町の山都みちくさ通りで開かれる。
 山都三大そばまつりの第2弾。9月の山都かあちゃんたちの雪室そば祭り、来年3月の会津山都寒晒(ざら)しそばまつりと合わせ、2つ以上の会場で台紙にスタンプを押して郵送すると、抽選で宿泊券などが当たる。


 新そばまつりには、喜多方市を中心とする県内外の9店舗が出店する。耶麻農高の生徒が初めて店を出す。農産物や工芸品などの手作り屋台市もある。


 もりそば、かけそばを1杯600円から提供する(チケット制)。両日とも午前10時からで、15日は午後4時、16日は午後3時まで。


問い合わせは市山都総合支所 電話0241(38)3831へ。

 

★山都町
山都町(やまとまち)は、福島県耶麻郡にあった町である。
2006年1月4日に、喜多方市および耶麻郡熱塩加納村・塩川町・高郷村と合併し、新しい喜多方市の合併特例区の一つとなったため、普通地方公共団体としては廃止した。


●沿革
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により山都村・小川村・木幡村・相川村・一ノ木村・早稲谷村・朝倉村が成立。
1950年(昭和25年)4月1日 - 山都村・小川村・木幡村が合併し、山都町が発足。
1954年(昭和29年)3月31日 - 山都町・相川村・一ノ木村・早稲谷村および朝倉村の一部(賢谷・沼ノ平)が合併し、山都町が発足。
1955年(昭和30年)3月1日 - 河沼郡千咲村大字三津合を編入。

●地理
福島県の北西部にあり、町の北部の飯豊連峰山頂付近で、新潟県、山形県と接する。
飯豊連峰付近のほとんどは、南西部を新潟県、北東部を山形県が占めているが、山頂の神社とその参道が福島県山都町に属するため、飯豊連峰の三国岳、種蒔山、飯豊山、御西岳と続く稜線に沿って、細長く突き出た形の町域を有する。
町域は全般に山がちで、南端にある盆地周辺に都市機能が集まり、周辺町村と鉄道、道路で結ばれる。南東方向に会津盆地が続き、周辺地域の中心都市である会津若松市がある。
山:飯豊連峰(飯豊山、御西岳、種蒔山、三国岳)
河川:阿賀川、只見川、一ノ戸川

面積 156.21km²
総人口4,046人
(推計人口、2006年1月1日)
隣接自治体
喜多方市、高郷村、熱塩加納村、西会津町、会津坂下町 新潟県新発田市、阿賀町
山形県飯豊町、小国町


●観光
町内で生産したソバをもとに町おこしをすすめている。生産農家で直接ソバ食の提供を行っている。 特に蕎麦で有名な集落が「宮古」地区。ほとんどの家が蕎麦を提供。   
一の木に温泉が湧出。「いいでのゆ」H25.12月~H26.3月下旬までは、浴槽・配管改修工事で休業。
崖崩れで不通だった一の木~川入り間が開通しました。

 

★福島県立耶麻農業高等学校(ふくしまけんりつ やまのうぎょうこうとうがっこう)は、福島県喜多方市に所在する県立高等学校。通称(やまこう)と呼ぶ。

過去の名称
福島県立山都高等学校
福島県立耶麻高等学校
国公私立の別 公立学校


校訓
誠実・勤勉・力行
設立年月日 1948年4月28日
創立者福島県

男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制
学年制
設置学科 産業技術科
ライフコーディネイト科
学期 3学期制

沿革
1948年 - 福島県立山都高等学校として創立。
1957年 - 福島県立耶麻高等学校に校名改称。
1970年 - 福島県立耶麻農業高等学校に校名改称。
交通
JR磐越西線山都駅より徒歩。

 

 

「日本一のふくしまの酒 飲み比べフェア」が8月2日、福島市のコラッセふくしまで始まる。

 福島県産日本酒が手軽に楽しめる初のイベント「日本一のふくしまの酒 飲み比べフェア」が8月2日、福島市のコラッセふくしまで始まった。

初日から仕事帰りの会社員らが訪れ、全国新酒鑑評会で金賞受賞数「4年連続日本一」に輝いた地酒を味わっている。31日まで。

 金賞受賞銘柄をはじめ、県内蔵元の自慢の地酒を週替わりで提供する。3種類が楽しめる「飲み比べセット」(500円)、大吟醸など2種類を堪能する「プレミアム飲み比べセット」(700円)がある。いかにんじんなどの郷土料理や県産食材を使ったつまみも販売している。午後4時から同8時まで。
 初日はオープニングセレモニーが行われた。畠利行副知事があいさつし、高荒昌展県観光物産交流協会理事長の発声で乾杯した。福島県産米キャンペーンクルー「うつくしまライシーホワイト」が来場者に振る舞い酒を配った。


★「うつくしまライシーホワイト」は、米の消費拡大と福島米のPRのため、県内外のイベントなどで活動するキャンペーンクルーです。7月3日(日)に福島市の杉妻会館で行われた選考会では、応募総数57名の中から36名が審査に臨み、福島県オリジナルの米の品種「天のつぶ」のPR実演や質疑応答などを経て5名が選ばれました。

 クルーは鈴木彩夏さん(22)=南相馬市、同市臨時職員=、高木茉友さん(20)=いわき市出身、武蔵野大3年=、唯木耀さん(21)=福島市出身、青山学院大4年=、斎藤若葉さん(20)=福島市、福島大2年=、林優花さん(22)=須賀川市、福島大4年=。


 「福島のファンを一人でも多く増やせるよう頑張ります」と笑顔を見せる唯木さんのほか、「進学のために福島を離れてみて、あらためて気づいた食や観光資源の豊かさを伝えたい」と語る高木さん、「福島のお米を全国にPRすることで、米農家である祖父母への恩返しにもなれば」と意気込む林さんなど、今年も頼もしい顔ぶれが揃いました。

 

鈴木さんは「福島のコメのおいしさを一人でも多く伝えたい」、高木さんは「福島を離れて気付いた食や観光の魅力を発信する」、斎藤さんは「生まれも育ちも福島なので県民の思いを代弁する」、唯木さんは「農家の気持ちになって福島のコメを広めたい」、林さんは「祖父母もコメを作っている。天のつぶの魅力もPRする」とそれぞれ抱負を語った。

 5人は1年間、県産米のPRと消費拡大のために県内外のイベントなどで活動する。
 県米消費拡大推進連絡会議の主催、県や福島民報社の後援。今年は57人の応募があり、小野和彦県農林水産部長、鎌田喜之福島民報社編集局次長らが審査した。

 32代目となる2016うつくしまライシーホワイトは、これから1年間、県内外での活躍が期待されます。

 

福島県楢葉町で、町唯一の歯科診療所だった「蒲生歯科医院」が7月、5年4カ月ぶりに再開

帰町者の健康サポート 楢葉唯一の歯科医院再開

 東京電力福島第1原発事故に伴う避難指示が昨年9月に解除された福島県楢葉町で、町唯一の歯科診療所だった「蒲生歯科医院」が今月、5年4カ月ぶりに再開した。今年2月に開院した県立診療所と同じ敷地に新医院を構え、帰還した町民らの健康を支える。

 院長の蒲生正若さん(55)と妻裕子さん(56)の2人が診療する。原発事故後、山形県内での勤務医を経て2014年6月、楢葉町民が避難するいわき市の仮設住宅敷地内で仮設診療所を開設。避難指示解除を受け、町内での再開準備を進めてきた。

 正若さんは「帰町しない理由に医療機関がないことを挙げる町民が多かった。歯科医として義務を感じた」と説明する。
 
 楢葉町の帰町者は4日現在で600人、全体の8.1%となっている。正若さんは「診療することでしか、復興に貢献できない。経営は厳しいが、頑張れるだけ頑張りたい」と話した。


★楢葉町

楢葉町(ならはまち)は、双葉郡に属する福島県浜通りにある町。

地理

浜通りの中央よりやや南寄りに位置し、東側は太平洋に面する。町域の約2割にあたる町域東部の海寄りの地域は平地で、中央部・西部は阿武隈高地の山地となっている。中央部に郭公山があり、山の南側(町中央部)には木戸川が、北側では井出川がそれぞれ西から東へ流れている。

町の北東端に東京電力福島第二原子力発電所の1 - 4号機が立地する。全号機が町内にあるが、福島第二原子力発電所の敷地は北隣の富岡町にもまたがっている。

富岡町の北にある大熊町・双葉町には福島第一原子力発電所が立地しており、当町の町域は福島第一原子力発電所から概ね20km前後の場所に位置している。2011年3月11日に福島第一原子力発電所事故の影響により、町域の大半(居住者のいる場所の全域)が警戒区域に指定されたが、2012年8月10日に避難指示解除準備区域(立入可、宿泊不可)となったのち、2015年9月5日に避難指示が解除された。

歴史
1971年(昭和46年)に東京電力福島第2原子力発電所の建設基地に決まり、交付金事業によってエネルギー都市として歩みはじめる。
2011年(平成23年)3月11日 - 東日本大震災が発生。楢葉町で震度6強を観測。地震に伴う津波による福島第一原子力発電所事故の影響で町の大部分が半径20km以内の警戒区域に指定され、区域内の立ち入りが出来なくなる。役場機能は会津美里町・いわき市に移転。
2012年(平成24年)8月10日 - 警戒区域が避難指示解除準備区域に再編される。
2014年(平成26年)6月2日 - 業務の一部を町内の町役場で再開。
2015年(平成27年) 4月6日 - 準備宿泊を開始。
9月5日 - 避難指示解除


総人口 976人 (推計人口、2016年6月1日)

人口密度 9.42人/km²

隣接自治体 いわき市、双葉郡広野町、富岡町、川内村

町の木 すぎ

町の花 やまゆり

町の鳥 うぐいす

●名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
Jヴィレッジ - 日本のサッカー・ナショナルトレーニングセンター。 マミーすいとん

楢葉町コミュニティセンター
道の駅ならは
ならは羽黒山温泉
天神岬温泉

姉妹都市・友好都市
姉妹都市
日本の旗 福島県会津美里町 - 2006年2月21日姉妹都市及び災害時相互応援協定締結(1996年8月に旧新鶴村と姉妹都市締結)。
アメリカ合衆国の旗 ユークリッド市(米国オハイオ州) - 1993年5月締結。

友好都市
中華人民共和国の旗 五常市(中国) - 1992年2月締結。

太平洋一帯の放射線レベルが急速に基準値まで低下! 福島第1原子力発電所の事故から5年

東日本大震災に伴う東京電力(TEPCO)福島第1原子力発電所の事故から5年を経て、太平洋(Pacific Ocean)一帯の放射線レベルが急速に基準値まで低下しているとする報告書が4日、発表された。世界各国の海洋学専門家でつくる「海洋研究科学委員会(Scientific Committee on Oceanic Research)」がまとめた。

 2011年3月11日の巨大地震と大津波により引き起こされた原発事故では、炉心溶融(メルトダウン)の結果、放射性物質を含むガスが大量放出されたほか、破損した原子炉を冷却するため注入された水が世界の海洋史上最悪の規模の汚染水となって海に流出した。

 事故から5年を経てまとめられた報告書では、日本沿岸から北米までの太平洋における放射性セシウム濃度を調査。福島原発から放出された放射性物質は米国本土にまで達していたと指摘した。

 ただし、福島第1原発に関連した放射性物質の研究20件のデータを分析した結果、事故直後は通常時の数千万倍にも上昇した放射線レベルが、急減して基準値まで下がっていることが分かったとしている。

 学術誌「Annual Review of Marine Science(海洋科学年報)」に掲載された報告書を共同執筆した西オーストラリア(Western Australia)州エディス・コーワン大学(Edith Cowan University)のペレ・マスケ(Pere Masque)教授(環境放射化学)は、「例えば2011年には、福島沿岸水域で捕獲した魚の半数以上から危険なレベルの放射性物質が検出された。だが、2015年までに基準値を超える魚は急減し、1%未満となった」と語った。

 ただし報告書は、福島第1原発近くの海底や港では依然として放射性レベルが高いことも指摘。マスケ氏は「この地域では放射性レベルや海洋生物の監視を続ける必要がある」と強調している。

 

★東日本大震災

東日本大震災(ひがしにほんだいしんさい、ひがしにっぽんだいしんさい)は、2011年(平成23年)3月11日午後2時46分に発生した東北地方太平洋沖地震とそれに伴って発生した津波、およびその後の余震により引き起こされた大規模地震災害である。この地震によって福島第一原子力発電所事故が起こった。
 
概要
地震発生
 
2011年(平成23年)3月11日(金曜日)14時46分18秒(日本時間)、宮城県牡鹿半島の東南東沖130km、仙台市の東方沖70kmの太平洋の海底を震源とする東北地方太平洋沖地震が発生した。
地震の規模はモーメントマグニチュード (Mw) 9.0で、発生時点において日本周辺における観測史上最大の地震である。震源は広大で、岩手県沖から茨城県沖までの南北約500km、東西約200キロメートルのおよそ10万km2という広範囲全てが震源域とされる。
最大震度は宮城県栗原市で観測された震度7で、宮城・福島・茨城・栃木の4県36市町村と仙台市内の1区で震度6強を観測した。
 
被害
 
この地震により、場所によっては波高10m以上、最大遡上高40.1mにも上る巨大な津波が発生し、東北地方と関東地方の太平洋沿岸部に壊滅的な被害が発生した。また、巨大津波以外にも、地震の揺れや液状化現象、地盤沈下、ダムの決壊などによって、北海道南岸から東北を経て東京湾を含む関東南部に至る広大な範囲で被害が発生し、各種インフラ(人々の生活に必須な、いわゆるライフライン)が寸断された。
 
2016年(平成28年)3月10日時点で、震災による死者・行方不明者は18,455人、建築物の全壊・半壊は合わせて400,326戸[10]が公式に確認されている。震災発生直後のピーク時においては避難者は40万人以上、停電世帯は800万戸以上、断水世帯は180万戸以上[12]等の数値が報告されている。復興庁によると、2016年2月12日時点の避難者等の数は174,471人となっており、避難が長期化していることが特徴的である。 津波による浸水面積 - 561km2
津波被害農地 - 21,480ha(宮城・14,340、福島5460、岩手730)
漁船被害 - 28,612隻
漁港被害 - 319港
 
日本政府は震災による直接的な被害額を16兆円から25兆円と試算している。この額は、被害が大きかった岩手・宮城・福島の3県の県内総生産の合計に匹敵する(阪神・淡路大震災では兵庫県1県の県内総生産の半分ほどであった)。世界銀行の推計では、自然災害による経済損失額としては史上1位としている。
 
福島第一原子力発電所
 
地震から約1時間後に遡上高14 - 15mの津波に襲われた東京電力福島第一原子力発電所は、全電源を喪失。原子炉を冷却できなくなり、1号炉・2号炉・3号炉で炉心溶融(メルトダウン)が発生。
大量の放射性物質の漏洩を伴う重大な原子力事故に発展した(→福島第一原子力発電所事故)。この事故は国際原子力事象評価尺度で最悪のレベル7、チェルノブイリ原子力発電所事故と同等に位置付けられている。同原発の立地する福島県浜通り地方を中心に、周辺一帯の福島県住民の避難は長期化するとともに、2012年からは「帰還困難区域」「居住制限区域」も設定された(→福島第一原子力発電所事故の影響)。その他に火力発電所等でも損害が出たため、東京電力の管轄する関東地方は深刻な電力不足に陥り、震災直後の一時期には日本国内では65年ぶりに計画停電が実施された。計画停電は東北電力管内でも震災直後に実施されたほか、翌2012年の夏前には関西電力管内でも大飯発電所(大飯原発)の再稼働を巡って論議が起き、計画停電の可能性が議論された。
 
 

 

「ファッショナブルふくしま」が7月2日、福島市エスパル福島店で開かれる

福島県の魅力をファッションを通じて表現するイベント「ファッショナブルふくしま」が7月2日、福島市エスパル福島店で開かれ、「モモ」や「菊人形」など県内の特産品、名所をモチーフに、県民約30人が出演するファッションショーが繰り広げられ県内外から約200人が来場した。


 新しい福島の姿を発信しようと、ソーシャルメディア研究所(福島市)の熊坂仁美社長が企画した。一般市民をスタイリングする「パーソナルスタイリスト」という概念を日本に導入した政近(まさちか)準子さんらがコーディネートを担った。

パーソナルスタイリストの学校を運営している政近氏の門下生が、福島の皆さんのセンスアップをサポートします。

 日本酒や福島の郷土料理「いかにんじん」、赤べこなどをテーマとしたファッションが次々と登場。小林香福島市長や同市の波恵ダンス・カルチャーパーク代表石山波恵さん、同市の果樹農家の親子らはモモをテーマにした姿でステージに立った。川俣町の川俣シルクや伊達市のニットなどを用いたファッションで、政近さんは「ピンクの優しい色にエレガントさを加えた。淡いグリーンを少し合わせた」と解説した。

 新野洋二本松市長と浪江小中学校英語教師のジェシカ・ハラムズさんは、二本松の菊人形から着想を得たカジュアルウエディング姿で現れ、大きな拍手を浴びた。このほか高校生モデルの石山城カルヴァンさんや山木屋太鼓リーダーの遠藤元気さんらも出演した。

★ソーシャルメディア研究所のコンセプト

今、ソーシャルメディアのインフラを使って、どのように「情報発信」をしていくか、

どのように「自己表現」をしていくかが焦点になっています。

また、東京一極集中から、これまで声が小さかった「地方」の時代と言われるのも、ソーシャルメディアの普及が後押しをしています。

ソーシャルメディア研究所は、このような時代背景を得て、「福島市」を拠点とすることを強みにし、「地域を発信する動画プロデュース」「情報発信研修」を二つの柱として、皆様のお役に立つよう精進をしていく所存です。


★熊坂仁美(くまさかひとみ)


田舎暮らしスタート!東京から福島にお引っ越し〜熊坂仁美の90秒動画 #9

福島市在住。慶應義塾大学卒業後、19年間の専業主婦生活を経てアルバイトで社会人デビュー。インタビューライターとして活動していた2010年ソーシャルメディアと出会い研究を始める。2014年プロデュースした「HAPPY福島版」は90万以上再生のバイラル動画に。著著に『Facebookをビジネスに使う本』『YouTubeをビジネスに使う本』など。2014年4月〜2015年3月までNHKEテレデジタル講座の講師役として出演。

株式会社ソーシャルメディア研究所 代表取締役
地域活性化プロデューサー
福島県公式YouTubeチャンネルアドバイザー

慶應義塾大学文学部卒業後すぐに結婚、19年間専業主婦として二児を育てたのちアルバイトで社会人デビュー。インタビューライターをしていた2009年からSNSの研究を開始。翌年出版したFacebookビジネス書『Facebookをビジネスに使う本』がベストセラーとなり、SNSの専門家として企業サポート、講演を中心に活動する。2013年、故郷福島に拠点を移し、地域の魅力を伝える動画のプロデュースを開始、ファレル・ウィリアムスの「HAPPY」福島バージョンは世界中のメディアに取り上げられ約100万再生となる。現在は地域活性化のための企画プロデュースをメインに活動している。

★政近準子プロフィール

パーソナルスタイリスト創始者 (有)ファッションレスキュー社長
 パーソナルスタイリストプロ育成校 PSJ学院長
 ファッションデザイナー出身。
 25歳でイタリアへ移住後、日本で初めて、タレントやモデルだけではなく 一般の方にもスタイリングをご提案。NHK「あさイチ」、「助けて!きわめびと」「スッキリ!」などテレビ出演、新聞、雑誌取材多数。『働く女性のスタイルアップレッスン』『素敵の法則』『一流の男の勝てる服・二流の男の負ける服』など著書多数。

誕生日:1965年2月19日

血液型:A型

出身地:広島県

お住まいの地域:東京都

職業:自営業

未既婚:既婚

出没地:原宿 新宿 表参道 青山 六本木 練馬

山形県特産の「巨大流しさくらんぼ」 で有名な「第5回日本一さくらんぼ祭り」が6月18日、山形市中心部で開幕

山形県特産のサクランボで県内外の観光客らをもてなす「第5回日本一さくらんぼ祭り」が6月18日、山形市中心部で開幕した。


「巨大流しさくらんぼ」や種飛ばしに歓声

「巨大流しさくらんぼ」や種飛ばしに歓声 山形で日本一さくらんぼ祭り

日本一さくらんぼ祭りが開幕。関係者がサクランボのくす玉を割って開幕を祝う。

 文翔館前で行われたオープニングセレモニーには、ドメニコ・ジョルジ駐日イタリア大使、デハ・エルペッキ公使参事官が出席。吉村美栄子知事が「山形の元気を発信していこう」と呼び掛け、“さくらんぼくす玉”を開いて開幕を宣言。さくらんぼ御輿(みこし)などが練り歩き、会場を盛り上げた。


 本県特産のサクランボで県内外の観光客らをもてなす「第5回日本一さくらんぼ祭り」が18日、山形市中心部で開幕した。目抜き通りを歩行者天国にし、「巨大流しさくらんぼ」をはじめ、伝統芸能やパフォーマンスの披露など、さまざまな催しが繰り広げられる。

目抜き通りを歩行者天国にし、「巨大流しさくらんぼ」をはじめ、伝統芸能やパフォーマンスの披露など、さまざまな催しが繰り広げられた。

 流しそうめんの要領で、サクランボをすくう「巨大流しさくらんぼ」は今年も大人気。長さ30メートルの竹どいの両側に並んだ子どもらから、サクランボが流れてくるたびに歓声が上がった。他にもサクランボの振る舞いや種飛ばしのほか、目抜き通りでは山形のグルメや商品を扱う出店がずらり。モンテディオ山形などプロスポーツ選手らと触れ合うコーナーや、全国豊かな海づくり大会、やまがた技能五輪・アビリンピック大会のPRを兼ねたブースも設けられた。

 主催する同祭り実行委員会は、初日の来場者数を前年比5.6%増の16万9千人と発表した。

 祭りはきょう19日まで。やまぎんホール(県民会館)から山形銀行本店前までが歩行者天国となる。ご当地グルメの販売やステージイベントのほか、初企画の仮装パーティーなどが繰り広げられる。